人を愛した神と、神を愛した人の話2

神六長編の三話目です。

このような穏やかな気持ちは初めてだ。彼と恋仲であった時は余裕など持ち合わせていなかったが、関係を終えて数ヶ月が経った今はとても穏やかな心持ちである。六は今の心境をそのように認識していた。
一時はどうなるかとも考えたが、関わりも次第に消滅していくのだと信じて疑わなかったMZDとは良好な関係を築けている。最初から深く関わり合わなければよかったのでは。そう思うが、自分の選択が間違っていたとは思いたくない。
あの頃、自分は今よりも幼かったのだ。故に相手を傷付けていい理由になるかと言えば、それは違うと強く思う。MZDを愛し、六は成長する事が出来た。様々な経験をさせてくれた相手に感謝している。
彼に好きだと言われ、同じ気持ちであったから受け入れた。それについても後悔はしていない。だが、出来る事であれば……その当初よりも今の自分に好きと告げて欲しかった。
今更考えたところで、それはどうにもならない。
今度は自分が相手よりも先に思いを告げよう。初めてMZD宅に訪れた帰り道に決意していた事だ。しかし、機会を見計らっている内に少しずつ迷いが生じ始めた。また彼に近付き過ぎては、不必要に相手を傷付けてしまうのではないか。せっかく今の関係は良好であるのに、それで満足は出来ないものなのか。
自問自答を繰り返し、今に至る。満たされているにも関わらず更に多くを求める事はどうなのか。過度に欲しがれば大切なものが見えなくなる。あのような事は二度と繰り返してはならない。

 

持て余した愛情が相手に危害を加えてしまう事もあると、六はMZDと恋仲であった時に初めて知った。
彼といがみ合う事ばかりであった時も、当人を心底嫌いになったわけではない。それなのにこの口は相手を傷付ける言葉ばかりをかけていた。苦い思い出の一つが蘇る。六がMZDの生活状況を心配した事。それがきっかけであった。
年々盛り上がりを見せる音楽のパーティ。毎回行われるそれを大成功させるため、MZDは常に身を削っていたと六の目には映っていた。
楽しい事をするには、時として相応の労力をかけなくてはいけない事もある。確かそれが彼の持論であった。だが、六は納得する事が出来ない。いくらあの男が最もとりたい行動を選んでいたとしても、無理をする事が正しいとは思わない。
「エム……最近、頑張り過ぎじゃねぇか?」
「そうか? 俺様的にはそんな事はねぇと思うけどな!」
「それはあくまで、お前の判断だろ?」
「そうかもしれねぇけど、自分の事を一番わかってるのって自分だろ?」
「『過信』って言葉を知らないほど、エムはそこまで馬鹿じゃねぇと思う」
ここ最近。MZDが六宅に顔を出さなくなった事態が気になってスタジオに籠もりきりだと噂を耳にする。その通り、この男はここしばらくは自分専用の作業場に泊まり込んでいる事が窺えた。
「おいおい。そんな事を俺がすると思ってるのかよ?」
「あぁ」
「……随分ときっぱり言ってくれるじゃねぇか」
「当然だ。机下にあるそれは何だ? 全部、栄養剤の空き瓶だろ? そんなものに頼らなくちゃいけねぇって事は、てめぇが無理をしてるって事だろうが。これが過信じゃなきゃ、何て言うんだよ? どう考えたって過信じゃねぇか。馬鹿が」
違う。無理を通そうとしている相手に憤っている事は確かだが、こんな酷い言葉だけをかけたいわけではない。何故、素直に物事を口に出来ないのか。何度目になるか数える事も諦めた自己嫌悪に陥る。
「言ってくれるじゃねぇか? こっちも言わせてもらうけどよ。それだってあくまでお前の個人的意見だろ? てめぇの気持ちを俺に押し付けるな」
それまで笑んでいたMZDであったが、今の彼の表情から笑みは消えていた。それほどまでの言い方をこちらがしたのだ。当然の反応である。しかし、悪いのは自分であるとわかっていながらもこの口は謝罪を述べようとはしてくれない。
「そうか。人間と神じゃ、そもそも体力も違うんだろうな。そりゃ理解出来ねぇよ」
「おい。撤回しろ」
「何をだよ?」
「……何でもねぇよ」
この時、MZDは六の言葉によって怒りを垣間見せた。それだけは理解出来たが要因まではわかりかねる。
「言ったところで、お前なんかには絶対わからねぇよ!」
「わかりたくもねぇよ!」
売り言葉に買い言葉であった。それを捨て台詞とし、六はMZDの作業場を後にした。
何故、相手を穏やかに気遣えないのだろうか。こちらの意見に聞く耳を持たない相手よりも、許容量の小さな自分に腹を立てる。わかりたくないわけがない。それなのにこの口は本心とは真逆の言葉を吐いてしまうのか。思えば未熟であったのかもしれない。それらに気付けたのも、あの男と別れた後だ。

 

作詞をしようと机に向かっていた最中。苦い思い出が過ぎる。六はそれを受け流そうとはせず、胸中にあえて留めた。
気付くのにはあまりに遅過ぎたが、気付く事が出来て良かったと今なら思える。そこが痛みを訴えている事を感じながら、MZDについて改めて考えた。
今でも彼が好きだ。その思いは変わらない。関係も良好であり続けているので、今が思いを伝えるべき時だ。と、一瞬浮かんだ考えを自ら否定する。それでは駄目だ。近付き過ぎてしまえば、また相手を傷付けてしまう。二度と同じ轍を踏まないと事前であればいくらでも誓えるが、それは確約とは言えない。
ここで六は筆が全く進んでいない事に気付く。気分を変える為、散歩に行くかとも考えたが。気付いてしまっていた。今はいかに息抜きを行なっても、納得のいく物を生み出す事は出来ない。裏を返せば、この思いの決着をつけない限りはこのままであるとも言える。
彼が心を寄せてくれた自分で在り続けるために、何をすべきか。そしてその為には何をすべきか。一つの答えが浮かぶ。
改めて筆を取り直し、六は書をしたためる。今度は止まる事なく思いをそこへ記す事が出来た。
二度と同じ過ちを繰り返さないように。未熟な自分との決別を誓う。作業がひと段落ついた頃にはとても清々しい思いを抱いていた。そのまま席を立ち、外へ出る。MZDの元へ向かうためだ。
今ならまだ引き返せる。いまだ自分の中にいる未熟な心に語りかけられたような錯覚を得た。それでも歩みを止めない。留まる事よりも変化を強く望んだ六の想いは少しずつ以前の己を遠ざけているようであった。