ないものねだり

王子→カイル  ロイ→リオン
それぞれの立場を羨み、互いが衝突する話

常に自分は家族に愛されていると実感出来ていた。だが一部の者たちの蔑んだ言葉や視線を目の当たりにするたび、何故自分はここにいるのだろうと考えずにはいられなかった幼少時代。そんな当初の己を救ってくれたのは他でもないカイルだと言っても過言ではないと王子は思う。
自分はあの男についての英雄視を恋慕と勘違いしているだけなのかもしれないと思いながらも、彼に焦がれ続けていた。
もし自分が王族ではなかったら、カイルはあそこまで親身に接してはくれなかったかもしれない。しかし自分が王族であったからこそ、カイルと出逢えた。その結論が今までの意思を形勢してくれていたのだ。
王族という強固な壁のような隔たりを息苦しく思いながらも、王子は生まれについてを呪った事は無かった。そのわずかな息苦しさがいずれ意に反して穏やかな思いを飲み込んでしまわないかと日々恐れている。しかし今は秘めた恋慕よりも為さねばならない事があると心得ていた。
故に相反する思いたちについても気に留める事はない。そうしていられたはずなのに。
先日思わぬところで仲間となった影武者の存在が、王子の思いに小さな歪みを日々刻みつつあった。

 

ある日のひと時。ラフトフリートの面々と釣り勝負を楽しんでいた時であった。
遺跡入り口近くの高台に、影武者のロイとカイルの姿を見つける。見たところ二人は手合わせをしているようだ。心無しかカイルはそれを楽しんでいるように見える。加減こそしているものの自分との手合わせ時ほどのものではなく、彼もロイに対して積極的に攻め込んでいる。これらは全て思い過ごしだと信じたい。
直後、カイルの剣を持つ片腕がロイの三節棍に捕らえられる。ロイが優位に立ったと思いきや、カイルが捕らえられている腕を引く。物柔らかな動きと見受けられた。しかしそこには見た目に反したとてつもない力が込められているのだろう。カイルの動きを封じたと思い油断をしていたのかロイはされるがままカイルの懐まで手繰り寄せられ、王子の視界から姿が消える。間もなくロイが再び視界に映る。恐らく足払いを食らい、その場から起きあがったのだと考えられた。カイルは腕に絡んだままの三節棍を解いてロイに渡す。それを彼が受け取った直後、カイルの片手がロイの頭を撫でる。二人の表情まではここからだとわかりかねた。しかしその様子から互いがとても楽しそうにしていると伝わる。まるで仲のいい兄弟。そのような印象を受けた。
幼い頃、自分もカイルとそのような関係性を望んでいた事がある。王子と従者の関係は省いて彼と仲良くなりたいと密かに願った。王族と従者の関係ではなく、一個人同士として相手にも接してほしい。しかしその願いは叶わないと王子は早々に気付いた。王族に仕える彼は自分に気安く触れる事を許されない。何故自分は王族で、彼は自分たちに仕える者なのか。幼少期は常にもどかしさを抱いていた。だが、そうでなければ互いに出逢う事はなかった。現状を呪おうとは思わない。
今日もまた、そう言い聞かせて溢れ出しそうな感情を抑え込もうとする。ところが上手くいかない。薄々気付いていた。自分がどんなに願っても手に入らない光景を目の当たりにしてしまったからだ。ロイがたまらなく羨ましい。
(あ、また……逃げられた)
少々思い詰めが過ぎたようで何度も魚に逃げられてしまう。船主に今日は調子が悪いのかとたずねられ、そうかもしれないと答えた。

 

勝負の結果は散々であった。明らかに調子が悪いとわかる成績は面々に心配をかけてしまう。後に労われ、今度は自分の調子がいい時にまた勝負しようと言ってくれた。惨敗であったにも関わらずその結果についてはそれほど悔しさは感じない。むしろ清々しさを抱いているのは、あの勝負を周りが心から楽しんでいたからだろう。
その最中に自分だけが勝負以外の事も考えてしまっていた。それを申し訳なく思う。次に勝負する時こそは全力で挑むと決心した。
一つの反省をまとめて結論を出せたが、頭の中からはカイルがロイの頭を撫でていた光景が出て行ってはくれない。王子の意思に反してそれは強く焼き付けられてしまっていた。自室に戻り、椅子に腰掛けて今の心境を切り替えられるように思いを整理する。どう足掻いたところで自分はロイにはなれない。今の立場を捨ててまでカイルに触れて欲しいと言えば、それは違う。それまでの願いなのだ。全てを捨てて己の欲を優先するほど強欲にはなりたくない。
これまでと同じく王子は諦める事でわきあがる思いを抑え込んできた。しかし今はあの光景が頭の中から今も出て行ってくれない事態による妨げがある。
せめてひと時でいい。ロイになりたい。彼になれば、叶わないと諦めていた願いも叶えられる。それが一晩の夢と同じくすぐに覚めてしまうとは既に理解していたうえで、王子の中には一つの考えが浮かんでいた。

 

翌日、王子は食堂にて一人で寛いでいたロイを見つけられた。今はリオンとではなく、自分も彼と同じく一人でいる。彼女を同席させて昨日浮かんだ提案を持ちかけては難色を示されてしまうと予想出来たので、リオンにはカイルと手合わせをするよう今朝に予め銘じていたのだ。
彼女は今まで武術指南を望んでいた。しかし連日ゼガイの武術指南所は盛況だ。重ねて時折本拠地に帰還するゲオルグの元にも、指南を希望する者たちが後を絶たない。故に彼女は周囲のために身を引いていた。その状況をどうにかしたいと常に思っていたが、まさかこのような形で事が運んでくれるとは。カイルもリオンとの手合わせを快く引き受けてくれた。思えばあの二人も昔から、仲の良い兄妹のように見える。当時はそれについて羨ましさを感じてはいたが、その思いについて深く悩んだ事はない。
恐らく影武者であるロイに自らの姿を重ねてしまっているからだと推測する。確信に近いそれを頭の片隅で考えながら、王子は彼の元へ歩み寄った。
「ここにいたんだね。ロイ」
「王子さん? 珍しいな。リオンがあんたといないなんて」
隣には腰掛けず、右斜め後ろに立って声をかけるとロイは椅子ごと王子の方へ向いてくれた。こちらから見て左肘はテーブルについている。
「リオンは今、カイルと手合わせをしている」
「王子さんはリオンのそばにいてやらなくていいのか? あんたがいた方が、あいつもやる気出るんじゃねぇ?」
「そうだったら僕も嬉しい。でも、僕はロイと二人きりで話したい事があったんだ」
「『そうだったら』なんて、言ってんじゃねぇよ。そうに決まってるだろうが」
不機嫌を覗かせながらロイは言う。後ろ向きとも言える発言は相手を不快にさせてしまったのかもしれない。
「で? 話ってなんだよ?」
自分が言うより先に彼が本題に移ろうとしてくれている。どのように切り出すか具体的には決めかねていたので助かった。
「少しだけでいい。僕は君になりたい。その間、君には僕に扮していてほしい」
「は……?」
ロイは目を見開き、口も開いたまま呆然としている。立て続けに思いを告げるよりは、今は彼を待った方がいいだろう。少しして、ロイはため息をつく。
「いきなりどうしたってんだよ? あんたもイタズラに目覚めたのか? それとも、オレへの仕返しか?」
「そうだな、話すと長くなるかもしれないけど……」
カイルへ恋慕を抱くが故、自分にもロイのように接して欲しい。自分がロイに扮したところですぐに正体を見抜かれてしまう事は目に見えているが、そのほんの数秒だけでも彼と対等に接したい。
理由を話す事に躊躇いが生まれ、相手の様子を窺いながら回りくどい言い方をしてしまう。
「あー、いらね。どっちにしたってその提案には乗れねぇからよ」
ため息をついた直後以上にロイは不機嫌を露わにし、こちらを睨んでいる。ますます彼の気に障ってしまったのと理解した。自分の願いを叶えようとするがあまり、盲目になってしまっていたとようやく気付く。軽薄であった。
「あんたがどんなつもりかは知らねぇけど、仮にそうしたところでオレが周りに怒られちまって終わりだ」
彼の立場を全く考えていなかった事にも同時に気付く。一人よがりの思いは、自分が思っている以上に視野を狭くしてしまっていたようだ。
「つか、王子さんはいいよなー。ちょっとした出来心が浮かんでも、周りは全然怒らねぇしよ」
「僕が……うらやましい?」
ため息混じりに語るロイの言葉に耳を疑う。
「あぁ。心底うらやましい」
王子から視線を外し、俯く様子のロイは悔しそうな表情を浮かべている。むしろ悔しいのはこちらの方だというのに。彼の考えが理解出来ない。
「つか、うらやましいに決まってんだろ……嫌味かっての」
茶を飲み終え、背伸びをしながら呟かれたそれは独り言なのか。それともこちらに向かって語られたのか。ひとまず気分を害した事を詫びるべきだと考える。
「ごめん。ロイの気持ちを考えず、僕の気持ちだけを押しつけて……」
「おいおい、そんなに落ち込むなって。謝ってくれたんだからもう気にするなっての」
「うん……」
失言した自分にロイは気持ちよく対応してくれた。初めて互いが顔を合わせた当初の彼であったら、今のように笑顔を見せてはくれないままであっただろう。丸くなったと思える要因の一つに王子は、カイルの存在を見た。彼がロイに接しているところを見たのは昨日が初めてではない。時の経過と共にロイはカイルに心を開いていった。陰ながら二人の様子を見続け、焦がれた。カイルと気さくにふざけ合い、触れ合っているロイが自分であればいいのに。
「やっぱ、うらやましいな……」
思いは無意識の内に言葉となっていたようだ。再び不機嫌を露わにしたロイの表情を目の当たりにして気付く。
「王子さん。あんたでも口先だけの詫びってするんだな? 喧嘩売ってんのかよ」
「違う。ただ僕は……本当に君がうらやましくてーー」
言葉はロイのテーブルを強く叩く音によって遮られた。それと同時に周囲にいる者たちの視線がこちらに注がれる。
「あんた……オレがそっちに手をあげられねぇと思って、調子に乗り過ぎじゃね? 喧嘩売ってんのかよ?」
「そんなつもりはない。本心を話しているだけだ」
「だから! それが喧嘩売ってるような言い方だっての! わざとか!? まさか自覚してねぇのか? 人の気も知らねぇんだから、それも有り得ちまうよな?」
「……そっちだって、僕の気を知ろうとしないで……」
声を荒げて怒りをぶつけるロイにこちらの本音を言い返す。彼のように声を荒げてはいなかったが、自らの震えていた声によって思っている以上に怒っていると気付いた。
「何だよ、その顔……てめぇの気まぐれが巻き起こしたせいだろ? オレが悪いってのか!?」
「気まぐれじゃないっ!」
こんなに声を荒げたのは初めてかもしれない。気付けばロイに掴みかかり、今も不満を訴えている彼を睨み返す。
「っ……! 調子乗ってんじゃねぇぞ!!」
相手が勢いよく立ち上がる事で、それまで彼が腰掛けていた椅子が倒れる。周囲のどよめきも耳につくが、だからとはいえ今は冷静になれない。
ロイの前髪を掴んで引くと、こちらも結っている毛先を引かれた。痛みに顔をしかめていたところにロイの拳が腹部に叩きこまれる。ここで怯んではいけない。王子は負けじと仕返しの意を込めてロイの腹部へ膝を叩きこむ。その場に崩れそうになったと思いきや、ロイは体制を持ち直して片手を振りあげる。それを受け止め、反撃として蹴りを食らわせようとした時であった。彼の表情に一瞬の戸惑いが垣間見える。何がそうさせているのか。と、こちらの戸惑いを生む事こそがロイの目的なのかもしれない。そのまま勢いに任せて彼の腰辺りへ蹴りを食らわせようとする。しかし何者かに強い力で肩を掴まれ、ロイから引き剥がされる。邪魔をするなと文句を言うために振り向くと、そこにいたのは単独任務に向かっていたはずのゲオルグが立っていた。
「喧嘩は悪くないが、周りを見ろ」
「……」
青ざめた様子の者や、驚愕している者。中には見て見ぬ振りをしてくれている者もいた。感情的になった自分はロイだけではなく、周囲への気配りも出来なくなっていたようだ。
「すまなかった……」
辛うじて今の思いを言葉にする事が出来た。その一言だけでは償いきれないと自覚していたが、誰も自分を咎めようとしない。それもやはり自分が王子だからなのか。ロイに掴みかかっていた時の激情が夢の中の出来事であったかのように、今の王子の心境は空虚そのものであった。

 

周囲には謝罪したが、最も謝らなくてはいけない相手には何も言えていない。自分が何かを言っても、また彼を怒らせてしまうと恐れていたからだ。そんな自分に気付いてくれたのか、ゲオルグが彼同伴の元で話し合いの場を設けてくれた。今は自室の中央でロイとゲオルグと共に立っている。
「おまえが感情的になるなんて珍しいな?」
驚いた表情を見せながらゲオルグが言う。あくまで純粋な疑問のみを感じさせるだけで、こちらを咎めようとする様子は一切見受けられない。その優しさが王子の罪悪感を増長させる。わきあがる思いに言葉を奪われ、口を閉ざす事しか出来ない。
「なぁ……王子さん。何がそんなに気に食わねぇんだよ? オレはあんたじゃねぇから、はっきり言ってくれなきゃわかんねぇよ」
ロイもまたゲオルグ同様、疑問のみを訴えている様子だ。先ほどのような激情は感じられない。当事者が気持ちを切り替えて問いかけているのだから、自分もこのままでいけないと重苦しくも口を開く。
「僕はただ……ほんの少しだけでいい。王族という肩書きを脱ぎ捨て、周囲から平等に接して欲しかった……」
周囲の中心にカイルがいる事だけは伏せて、言葉に気を付けながら王子は話を続ける。
「でもそれは、ロイを怒らせてしまった通り……軽率な願いだった」
冷静になればなるほど、自分の愚かしさを思い知った。こみ上げる思いを堪え、床を見つめていた状態から顔をあげてロイを見据える。
「すまなかった。僕が傲慢な願いを抱いてしまったばかりに。君が怒るのは当然だ」
ロイは視線を一瞬こちらから離すも、再び目を合わせてくれた。その表情からは先ほどのような怒りは感じられず、安堵する。今の彼は少々ばつが悪そうにしながらこちらを見ていた。
「まぁ……さっきまでは色々欲張ってんじゃねぇよって思ったけどよ。王子さんにもオレらと一緒でどうしようもねぇ悩みとか、沢山持ってるんだよな」
沢山と言うよりは、たった一つ持っているそれがとてつもなく重い。それもまた胸に秘めた。
「泣きそうになるぐらい、あんたも苦しい事がある。オレもそれに気付けなかったのは悪かった」
ロイと掴み合いになっていた時、どうやら隠しているはずの思いが滲んでしまっていたようだと気付く。そうか、自分は泣きそうな顔をしていたのか。
「ゲオルグも、すまなかった。帰還して早々、僕たちの喧嘩を止めてくれて」
自らの思いを振り返りながら告げる。今も自己嫌悪を拭いきれてはいないが、ゲオルグが優しく笑んでくれた事で心が少しずつ軽くなりつつある気がした。
「気にするな。おまえたちぐらいの歳なら、そういう喧嘩は好きなだけやるといい。ただ、周りへの配慮は忘れるなよ?」
「はい!」
「おう!」
それぞれに温かくかけてくれた言葉には説得力がある。この男の今まで経験して来たであろう事柄がそのように思わせていたのかもしれない。穏やかな彼も昔は今の自分たちのように感情をぶつける事があったのだろうか。例えば、それは父相手であったかもしれない。あるいは、他者との喧嘩を父によって今のゲオルグのように止めてくれたのか。
現状を変える事は不可能だと改めて思い知らされたが、得られたものも確かにあると信じたい。
「ロイ。君には何度謝っても謝り足りない。そんな立場で頼み事をするのは心苦しいけど……一つ、聞いてほしい」
「何だ? まー、そんなに堅くなるなって。今度はオレもさっきよりは王子さんの話を聞いてやれるはずだ」
明るく笑うロイが背中を押してくれる。
「うん……。今回に懲りず、僕には遠慮はしないで思った事を言ってほしい」
「そんな事かよ。全然構わねぇよ? オレは最初からそのつもりだ」
「俺が言うのもなんだが、そういう場合は周りに気を付けた方がいいぞ?」
「わ、わかってるっての!」
からかい混じりのゲオルグにロイは痛いところを突かれたせいか、やや戸惑い気味ながらも威勢よく返した。
「まー、とにかく。そう言う王子さんもさっきみたいにムカついた事があったら言っていいからな? オレもそうする。リオンやカイルの兄ちゃんがやめろっつったって、絶対やめねぇから安心しろ」
「うん……。ありがとう、ロイ」
得られたものは大きい。いつか彼には本当の事を話せるだろうか。本音をぶつけ合い、喧嘩をするが後にわかりあえるかけがえのない友が出来た。王子はこみあげるものを抑え、ゲオルグとロイに向けて笑んだ。

 

王子と喧嘩をし、和解した同日夜。ロイはカイルとよく手合わせをする遺跡入口近くの崖に腰を降ろして本拠地を見下ろしていた。
「わりと派手にやったんだってー?」
「……!」
背後から聞こえた声に肩を竦める。遅かれ早かれ声の主には知られると思っていたが、あまりにも早いと思う。
「……すげぇな。やっぱカイルの兄ちゃんはそれだけ顔が広いって事か」
振り向いた先に立っていたカイルはあくまで、普段通りであった。こちらを咎めるような気配も感じられない。かえって不気味とも思うが、それは彼がこちらに気を遣ってくれているからだろうと同時に感じる。
「顔が広いとか広くないとか、それは関係ないんじゃないかなー。軍主であり、一国の普段は穏やかな王子様が声を荒げて喧嘩。なんて、こんな珍しい事件は瞬く間に広まるもんでしょ」
ロイの隣に腰を下ろし、カイルは驚きを交えて語った。確かに、彼の言う通りだ。今回の一件はロイ自身も驚いている。ふと、今にも泣き出しそうな顔をしていた王子を思い出す。自分とは違い、様々なものを持っているであろう彼でも思い通りに行かない事に心を痛めている事はわかった。何が王子をそうさせていたのかは全く想像がつかないままだ。と、相手の心配ばかりしている場合ではない。今回の一件は既にリオンの耳にも届いてしまっているだろう。これではますます彼女に嫌われてしまう。自分自身を見てもらうためにはどうしたらいいのか。王子本人はリオンに今回の事は自分にもロイにも非があると語ると思う。しかしそれでも、王子に手をあげた事は彼女の中で許されない事柄として刻まれるのは避けられない。彼女を密かに慕うが故の悩みは深くなるばかりだ。
「ゲオルグ殿が来てくれて、良かったねー」
「おう……」
まさに今思っている事を口にされ、ロイは猛省のあまり力なく返事をする。
「……王子へこっそり妬いてるヤキモチが、爆発しちゃったのかな?」
その言葉にからかいの様子はなく、あくまでこちらを宥める優しさのみを感じる。だからこそロイはこみ上げるものを堪えようと唇を噛む。彼はその反応を察して肯定として受け取ったのか、何も言わずにいてくれる。これ以上の言葉は追い討ちになると考えてくれているのだろう。泣く事が本意ではない事も同時にカイルは悟ってくれていたと思う。少しの間、口を閉ざして心を落ち着けた。ようやく言葉をまともに話せるにまで至ったところで少しずつ自らの決意を話し始める。
「もう二度と、同じ事はしねぇよ。……王子さんも、オレと似てるのかもしれねぇ」
「そりゃそーでしょ。だからロイ君は影武者として抜擢されたんだし。なーんてね。今話しているのは、そういう事じゃない。内面の話だよね?」
軽口を交えてくれているのも、こちらの心持ちが重苦しくならないよう気を利かせてくれているからだとわかった。彼の優しさを実感しながらロイは頷いた後で言葉を続ける。
「王子さんも、何かどうしようもねぇ事を抱えてるのかもしれねぇってのはわかった。それがどんなもんなのかまではわかんねぇけど」
「そっかー……」
「なぁ、兄ちゃんは何か知ってるんじゃねぇのか?」
察しの良いこの男なら、自分が知り得ぬ真相も人知れず把握しているかもしれない。自信を持って問うが、カイルは苦笑を浮かべるのみだ。
「うん。オレも王子が何かに悩んでいるのは気付いてるんだけど……それが何かまではわからないんだよねー」
「兄ちゃんでもわからねぇなら、そりゃオレにわかるわけねぇよなぁ……」
ロイから見て王子は、カイルに心から信頼を寄せているように見えていた。だからこそ彼だけには真相を打ち明けているに違いないと考えたが、どうやらそれは自分の思い過ごしであったようだ。
「難しいよねー……」
「そうだな……」
カイルですら理解していないのであれば、自分が彼の秘めているものを理解するのは到底無理だと思う。しかし、だからとはいえこのまま引き下がろうとは思わない。王子はロイにそのままの感情をぶつけてくれた。そして自分も同じく感情をぶつけた。今日の出来事は何か意味のあるものだったと考える。本音をぶつけ合った自分たちなら、いつか互いにわかりあえる日が来るだろう。ロイは前向きに考えながら、自分がリオンを慕っていると王子へ告げる事も同時に思い描いていた。

 

「ほんっと、絶妙なタイミングでしたねー」
「確かにな。騒ぎがあれ以上大きくなる前にその場を治められて良かった」
ゲオルグの自室にて長椅子に二人並んで腰掛け、カイルは彼と談笑していた。
「まさかオレがリオンちゃんと手合わせしていた時にそんな事があったなんてなー……。最初は何かの間違いかと思いましたけど、実際に起きた事だって知った時はビックリしました」
「俺も実際に目を疑ったさ。まさかあいつが他人にあそこまで感情をむき出しにするとは、全く思っていなかった」
「王子も多感なお年頃なんですねー」
「そうだな。何事も経験は必要だ。今の内にやりきれない思いは昇華させてしまった方がいい。それを上手く受け止めてくれる奴らが、あいつの周りにいてくれているからな」
相変わらず説得力のある言葉だ。穏やかな彼も昔はむき出しの感情を誰かにぶつけていた事があったのかもしれない。カイルの脳裏にフェリドの姿が浮かぶ。
「それはオレたちよりも、年の近いロイくんたちの方が適してる。そう思います」
ゲオルグに己の考えを伝えると同時に、それを自らにも言い聞かせた。彼を上手く受け止める事が出来るのは自分ではなく、ロイだ。先ほど二人で話していた時の彼の様子を思い出す。ロイは王子を気にかけてくれていた。感情をぶつけあった彼らならば、そう遠くない内にわかりあえる日が来ると確信する。あの少年はきっと答えを見つけ出せるに違いない。
カイルは一つ、ロイに嘘をついた。王子がやりきれない思いを抱いている要因を本当は知っている。それは全て自分のせいだ。王子はカイルに恋慕を抱いていると、とうの昔から気付いていた。そうして今も気付かぬ振りを今も通し続ける。
彼の手を取る事は不可能だ。実際、王子がカイルにその関係を望んで命じるのであれば従わないわけにはいかない。しかし王子はそれを今まで口にしてこなかった。相手もそれがよくない事であると理解しているのだろう。
恩人の息子と自分は恋仲になったところで不毛でしかない。大切なのは王子自身の思いだと理解しているが、それに応じる事は不敬に繋がる。例え王子が許したとしても、カイルは恩人の大切な家族と道を踏み外す事を望んではいない。同時に、自ら彼に秘めた思いを捨て置けとも言えずにいる。思いを引きずる事も不毛だが、それをやめろと口にすれば相手を傷付けてしまう。非は非と口にする事こそ真の忠誠というフェリドの言葉を忘れたわけではない。それでも彼の思いを否定する事は気が引けた。どう足掻いても自分はあの少年を傷付ける事しか出来ない。だから何も言わずにいる。カイルは王子を家族のように思っているからこそ、大切な存在からわずかに差し伸べられている手に気付かない振りを通し続けた。
感情を露わにする事なく、自分はロイと同じく王子の核心に辿りつけていないとこれからも言い聞かせる。カイルは自らの選択を正しいと思う。その考えは今後も変える気はない。とてつもなく卑怯だとも昔から自覚している。それは、護るべき大切な存在の為ならば己は何にでもなれると思うからこそだ。そこに少しの罪悪感もないといえば、嘘になるが。しかしカイルの意思は変わらない。表向きはゲオルグとの談笑を楽しみつつ、心の片隅にあるその思いに触れる。その時だった。
「ゲオルグ殿?」
彼の片手がこちらの肩を抱く。労おうとしてくれているのだろうか。相手もまた、王子の思いに気付いているとも考えられる。この男の場合、それだけではなくカイルの思いにも気付いているのかもしれない。察しのいい彼ならば十分にあり得る。
「どうしたんですかー?」
しかしこれはあくまで憶測に過ぎない。彼が何も問おうとしない姿勢から、こちらも自ら何かを語ろうとはせずとぼけて見せる。
「さぁな」
何を考えているか掴めないこの男は笑みを浮かべている。そんな彼と同じくカイルは笑みを浮かべ、ゲオルグに身を預けた。