リオンの日 2022年記念SS

ソルファレナ奪還戦前までのネタバレを含みます。ロイがリオンを気にかけ、そんな彼を疑問に抱きながらも嬉しく思う彼女の話。

ソルファレナに向かう前。自分も前線で戦うとリオンは周囲に告げる。温かく歓迎され、今も必要としてくれている面々に救われた。
それはつい先ほどの出来事で、今は激励されている王子を少し離れていたところで見守っている。微笑みが絶えないようにと心がけているが、負った傷が完治したわけではない。気を抜けば、意識が向いてしまう。意志を強く持ち、リオンはその場に立ち続けた。
傷が完全に癒えない内は本拠地に留まるべきと周囲に言われ、今まで守り続けていたが。今回ばかりは大人しく待つだけでは気が済まない。王子が今度こそ奪われたものを取り返す、今までで一番大切な戦いだ。彼を護るために、全力を尽くしたい。
(あの時。わたしが、ドルフを返り討ちに出来ていれば……)
王子はリムスレーアを助けられていたはずだ。自分が負傷してしまったせいで、成し遂げられなかったとリオンは当時を悔やみ続けていた。鍛錬を積んでいたのに、彼の盾となるに留まった。それも護衛として正しい在り方だと自覚してはいるが、とてつもなく心配をかけてしまったと申し訳なく思う。
(同じことは、繰り返しません)
今度は王子の身だけではなく、心も護りたい。ならば、出来る限り身体を休めておくべきだ。出発時刻まで、まだ猶予がある。リオンは己の気配を消し、軍議の間を後にして医務室へ向かう。疎ましく思っていたはずの、組織の教えを活用する己を蔑む。しかしこれは、必要なことだ。余計な心配をかけてはいけない。王子のためなら、己のプライドも容易く捨てられた。
(でも、いざという時は……)
この身を投げ出す覚悟も、リオンは持ち続けている。それが自分の使命だとの決意は変わらない。王子たちを再び悲しませたくないが、それも選択肢の一つだ。
医務室手前まで辿り着くと、人影が見えた。歩みを進めると、そこに立っていたのはロイだとわかる。
「ロイ君? どうしたんですか?」
彼は王子の姿に扮していたが、迷わずに問う。
「やっぱり、バレちまったか」
苦笑しながら語る彼は最終確認として姿に現したのだろうと判断し、この少年を元気づけるための言葉を探した。それは深く考えずとも、すぐに思い浮かんだ。
「わたし一人を騙せなかったとしても、それは大した問題ではありませんよ。戦場でのロイ君は王子のように気品があふれているって、皆さんがよく話しています。今回も例外ではありません。大丈夫です」
心からの思いを笑顔と共に伝えたが、彼の表情は硬いままだ。
「ありがとな。せっかく褒めているところ、悪いんだけどよ……いや、それは後で言う」
ロイはリオンを医務室へ通そうと、道を空けた。
「こちらこそ、ありがとうございます。ロイ君さえ良ければ、そこでお話を聞かせてくれませんか?」
「オレはいいけど、先生に用事があったんじゃねえのか?」
「いえ。シルヴァ先生は医務室を空けています。今日の戦いは最も厳しいものになるからと、薬や治療道具をかき集めて来るとおっしゃっていました」
「それじゃ、リオンは何しに来たんだ?」
医務室の中へ入り、歩みを進めながら会話が続く。自分が療養中に使っていたベッドまで進み、腰を下ろしてから口を開いた。
「少しだけ、休憩を。それだけです。とりあえず、ロイ君も座って下さい」
「わかった」
こちらの頼みを聞き入れてくれたロイは、リオンの隣へ腰掛けた。
「それで、わたしに何のお話があるんですか?」
彼の貴重な時間を、自分だけに費やしてしまうわけにはいかない。手短に済ませるべきと、リオンは早々に問う。
「……怒られることは承知で言うぞ。オレはあんたが、少しも大丈夫そうには見えねえ」
ロイの方に身体を向けているリオンに対し、ロイは真正面を向いたまま話を始めた。
「そう、ですか……」
上手く取り繕えていると思っただけに、とても驚く。動揺のあまり、否定する余裕もない。
「否定、しないのか?」
まるでロイは、こちらの考えを把握しているようだ。口を閉ざして続けるのは彼に対して失礼だと感じ、冷静になれと己に言い聞かせる。
「そうしたところで、ロイ君に嘘をついてしまうだけですから。あの……差し出がましいんですが、心配して下さっているんですか?」
ロイは正面を向いたまま難しい表情を浮かべている。他者に直視されることを好まないのかもしれない。そうだと判断したリオンは、彼と同じく身体を正面に向けて姿勢を直した。
「まあな。リオンは王子さんの護衛なんだから、無理するのが当たり前なのかもしれねえけどさ」
先ほど、医務室前でかけられた言葉に納得する。叱られると懸念していたのは、この件についてだったようだ。
「はい。ロイ君の言う通りです。王子が姫様をお助けするためなら、わたしはどうなったっていいんです」
「あんたらしい考えだな」
正面を向いたままで相手の顔色が見えない。声音を聞く限りでは、それまでよりも少しだけ柔らかさを感じた。気のせいかもしれないと、同時に思う。
「ごめんなさい。ロイ君が心配してくれているのに……」
突然浮かび、深く考える間もなく言葉となった。謝罪しか出来ない今が、少しもどかしい。
「いいんだ。ちょっとでも、そんな風に思ってくれるなら……いや。悪いけど、やっぱ納得出来ねえ。こんなことを言うのは間違ってるかもしれねえけど。自分を粗末にしないでほしいんだよ」
心配させてしまっているとの予感が確信へ変わる。こんなにも案じてくれているのに、彼の願いには頷けない自分が歯痒い。だが、リオンは己の考えを変えるつもりはなかった。応えられない代わりに彼の誠意を受け取り、本音を包み隠さず伝えようと口を開く。ロイを傷つけてしまうかもしれない。それでも、聞いてもらいたかった。
「ロイ君も、わかってると思いますが……今回の戦いは今までとは比べものになりません」
もちろん、女王親政の時以上に。それは心の内に留めた。過ぎてしまったことを思い出させてはいけない。その件があったからこそ、ロイに心配をかけていると察した。
「ですから、わたしはこれまで以上に全力で王子をお護りします」
万全とは言えない自分が、どこまで彼の力になれるか。考えている暇はない。ただ、全力を尽くすのみだ。自分の気持ちを再確認出来た。
「あんたは、変わらないんだな。本当に死にかけたのか、疑いたくなっちまう」
「……わたしも、わかりません。王子の紋章が無ければ命を落としていたかもしれないと、シルヴァ先生がお話をしてくれましたが……いまひとつ、実感が持てません」
当時の記憶は、とても曖昧だ。王子を狙うドルフの姿を確認した時、彼らの間に割って入ったところまでは覚えている。
シルヴァは王子の紋章の他に、ガレオンが応急処置を施したとも話していた。周囲に多大な手間と心配をかけたことは、大きな罪悪感として心に刻まれている。
(だから、わたしは……今回の戦いで、罪を滅ぼしたいんでしょうね)
己の考えを、また一つ実感した。
「でも、何となくは理解してたんだろ? 自分の状況が、危なかったって」
「はい。だからこそ、今日まで療養に専念していました」
「だけど、万全じゃないんだろ? そんな状態で戦場に立ったら……今度こそ、死ぬかもしれねえのに。リオン、怖くないのか?」
改めて、彼が心配してくれていると伝わる。この少年を安心させたい。その思いが自然と頭の中で言葉を作ってくれる。
「はい。大丈夫です。本当ですよ」
再度、ロイの方へ身体を向けて笑みを見せた。しかし彼は、複雑そうな表情を浮かべたままだ。納得出来ていないのだろう。申し訳なさを抱きながら、リオンは再び正面を向く。
「今日、王子さんが大事なものとかを取り戻せたとしても。あんたに何かあって、良かったなんて思う奴はどこにもいねえからな」
どんな表情で話しているのか。相手の目を見て確かめたいが、また口を閉ざしてしまうかもしれない。衝動を抑え、リオンは正面を向いたまま続くロイの話に耳を傾ける。
「これ以上、王子さんの前から誰かが消えちまったら……どうなるか、よく考えてくれ。リオンなら、わかるだろ?」
ロイの気持ちが痛いほど伝わった。あの日、サイアリーズがリムスレーアを連れてソルファレナへ行ってしまった時。仮に自分が命を落としていたら、傷心の王子に追い討ちをかけたかもしれない。彼を庇った直後の、自分を呼ぶ悲痛な声は記憶の片隅に残っている。
己の行動に後悔は少しも無かったが。王子を悲しませてしまい、心苦しかった。しかし、この身を挺して彼を護ろうとの思いは変わらない。それこそが自分の使命だ。恩人であるフェリドから与えられたそれは、今も覚えている。だが、彼はリオンの身も同時に案じてくれていた。何故かと疑問を抱いたが、嬉しかったと今なら言える。ロイの言葉で、それまで忘れてしまっていた優しく大切な思い出が頭の中によみがえる。彼には礼を言うべきだと、感情のままに言葉を続けた。
「ロイ君。ありがとうございます。おかげで、大事なことを思い出せました」
身を挺する選択は捨てきれないが、彼らの願いはリオンの糧となる。戦いの直前に士気を最大まで高められた。傷の痛みを気にしている場合ではない。そんなものは気力で捩じ伏せるのだと言い聞かせる。
「そっか。ちょっとでもリオンの役に立てたんなら、待ち伏せした甲斐があったな」
それまでよりも声音が明るくなった。少しでも彼を元気づけられたなら、こちらも本音を打ち明けて良かったと思える。
「本当に、ありがとうございます。貴重な時間を、わたしのために使って下さって……」
「オレは、好き勝手に行動してるだけだ。気にしなくていい。リオンと話したいって、一番思ってたから」
気をつかうなとの意味が込められていると察した。この場合は詫び、礼のどちらを告げても同じく言われてしまうのだろう。リオンはその場で微笑むのみに留め、感謝の気持ちが彼に伝わるようにと祈る。
「出発まで、まだ少しだけ時間は残ってる。それまで、ゆっくり休めよ」
「はい。ありがとうございます」
ベッドから立ち上がり、先に部屋を出ようとしているロイの背中を見送る。その直後、彼が足を止めた。
「オレもリオンに何かあったら、絶対に嫌だからな」
「ロイ君――」
「無茶苦茶言ってるのは、わかってる。あんたの使命とオレの願いは少しも噛み合わねえ。でも、思うだけなら許してくれ」
口を挟む隙も与えられず、彼は話を続けた。こちらの気持ちを尊重してくれていたので、簡単に否定は出来ない。
(どうして、こんなにも心配してくれるんですか?)
自分は相手と初めて出会った時、ひどい言葉をいくつも投げた。嫌われてもおかしくなかったのに、ロイはリオンに優しく接してくれている。
「じゃ、またあとでな」
抱き続けている疑問を相手に打ち明けるより先に、当人は医務室を後にした。王族や女王騎士たち以外で、ここまで自分を気にかけてくれた者は初めてだ。
(ロイ君も、わたしを家族だと思ってくれているのでしょうか?)
少し考えて、それは違うと気付く。それならロイは、どのような距離感をもってリオンと関わっているのか。理解は出来ないが、嬉しいと確かに感じた。