周遊の途中

ゲオカイ。本編ED後、二人一緒に旅立っている設定。とある街に立ち寄った時の話。

カイルと共にファレナを発ち、どれほどの時が経っただろうか。ふと、思いながらゲオルグは穏やかな心持ちで彼と共に歩む。気の赴くまま旅を続け、世界は自分の思う以上に広いと常々感じている。思えば地図も今まで何度も買い足した。
「見えて来たな」
遠目に街が見えて来た。数日前、新たに購入したばかりの地図上で目的地を定めた場所だ。
「ほんとだー。何やらオシャレな街並みですねー」
それまでの歩みについて愛しさが込みあげつつあった時、カイルが上機嫌で語る。ここ最近は野宿が続いていたので、ようやく落ち着いた寝床を確保出来ると安堵した。
「楽しみだ」
「そうですねー。あそこではどんな料理が食べられるんだろー」
「それもそうだな。それと、ここしばらく野宿だっただろう? 今夜は久々に思う存分眠れる」
「確かにー。でも、オレとしてはゲオルグ殿と一緒なんだから野宿だろうが楽しいんですけどね」
ゲオルグも同じ事を考えていた。野宿の場合は交代に睡眠をとる体制にしている。愛しい相手の寝顔を眺められる瞬間を、たまらなく気に入っていた。と、それは少し前にカイルとも話していた。溺愛気味とも自覚しているが、考えを改める気はない。やや感情が重いとも痛感している。それでも思い続ける事をやめられない。そもそもやめる気もないが。
「とりあえず、街に入ったら宿探しですね」
この男が上機嫌にしている事が伝わり、ゲオルグも同じく気分が上向く。そうしている間に、遠目に見えていた街の間近まで歩いて来た。入口の洒落た門を潜ると、それまでの土と砂利が混じった地面は石畳の床に変わる。軽快な靴音に心持ちも弾んだ。このうえなく浮かれていると気付く。引き続き今を楽しんでいるからこそ、そう感じるのだろう。
宿屋を探す途中、甘味処の看板がいくつも目につく。そこかしこから甘い匂いが漂う。上限が全く見えないほどに気分は更に高揚した。そんな自分をこの男は微笑みを浮かべながら眺めている。
「あなたが満足するまで、ここに滞在しましょーか」
嬉しい提案に頷いて見せた。こちらの考えを見越してくれている故の言葉だろう。
「そうだな。この街全ての甘味処を巡りたい」
嬉しく思いながら述べると、今度はカイルが頷いてくれる。
「のんびり回りましょー。特に気に入ったお店があれば、何回か通うのも良さそうですね」
そうして話を続ける道中も、甘味処が目につく。この街は甘味の名所なのだと悟った。地図上だけではわからない事は、こうして実際に足を運んで理解出来る。その瞬間がいつだって嬉しい。これも旅の醍醐味だと常々思う。
「あれがそうだな」
「それっぽいですね」
ひと際大きな建物が見えてくる。どうやらあそこが宿屋に違いないと、互いの意見が一致した。それぞれの判断は正しかったようで、顔を見合わせて笑みを浮かべながら宿屋に足を踏み入れる。滞在の手続きを済ませるため、今回はゲオルグが宿帳に記入する。ファレナを出てから宿泊施設での手続きは、交代制という事で話がまとまっていた。鍵を預かり、客室に手荷物を置く。備えつけの椅子にテーブルを挟んでカイルと向かい合って腰掛けた。
「お部屋も街並みと統一されているんですね」
石造りの壁と天井を見渡しながらカイルが言う。まるで太陽宮やセラス湖の本拠地みたいだと密かに思いながら、ゲオルグは頷く。
「じゃ、何処から行きましょーか?」
椅子に腰掛けたまま、背伸びをした後に問われる。
「端から……」
順番に。と、話そうとする前に言葉を止める。それが一番効率的だと思った故の提案だったが、この旅にそれを求める必要性は無い。まずは今の段階で最も印象に残っている店に向かいたいと思う。甘味処が並ぶ通りを歩いていた時、目についたとある看板が忘れられずにいた。あれは街の入口から歩いてしばらく経った辺りで見かけた覚えがある。
「どうしましたー?」
「すまん」
言葉を途中で止めてしまった事を詫び、続いて本音を告げようと再度口を開く。
「端から行こうと考えたが、真っ先に行きたい店がある。まずはそこに向かいたい」
「はーい。じゃ、行きましょーか」
明確な誘いの言葉をかけずとも、カイルはゲオルグと同行してくれる。
出国当初。こうして街に滞在する時はそれぞれ自由行動にしよう、といった話もあがっていた。しかし実際は、常に行動を共にしているのみだ。ファレナにいた頃は互いの境遇故に二人で時間を過ごせる事がごくわずかに限られていた。その反動なのかもしれないとゲオルグは考える。
理由はそれだけに限らない。カイルは相変わらず、こちらに合わせてくれていると日々実感していた。常に何かしようとする自分を気遣い、先回りをして待っていてくれる。そうして昔、何度も彼に救われた。
「ゲオルグ殿ー。お店、行くんでしょー?」
互いに椅子から立った後。あふれた思いが両腕を動かし、カイルを抱きしめる。
「すまん。少しだけ、触れたくなった」
「唐突だなー」
言葉通りすぐに抱擁を解き、目当ての店に向かうため部屋をあとにする。
「あなたは、たまに予想だにしない事をするから……退屈しません」
「それは奇遇だな。俺もおまえに対して、そんな風に思っている」
「えー。オレはそんな事、全然無いって考えてますけどねー」
「よく言う」
彼の軽口に笑みを浮かべながら返答する。カイルも同じく、笑顔を浮かべていた。
店を目指して歩いている最中、この男は物珍しそうに辺りを見渡している。目に見える物全てが新鮮に映っているのか、彼から楽しそうな様子が伝わってきた。
「見れば見るほど、お洒落な街並みですねー」
「ここも観光名所の一つなのかもしれんな」
道の隅々まで手入れの行き届いている様子から判断した後に思う。きっと今の自分も、カイルと同じく頰を緩ませていると。
美しい街並みを、ゆっくりと歩く。目当ての甘味によって気持ちは急いているが、それに逃げられる心配はない。目に見えるもの全てを一つずつ確実に焼きつけておきたい。出国した当初以上に心持ちが穏やかになっていると改めて実感したところで、目的地が見えて来た。ここでほんの少しだけ足早になる。楽しみにしているものが間近となった事で、気持ちが己をより急かしたからだろう。カイルは驚く様子もなく着いて来てくれた。
「ここだ」
「なるほどー……あ、この看板メニューに引かれたんですね?」
カイルは入り口に立てられている小看板を指差す。そこにはカスタードクリーム入りのアップルパイが宣伝されていた。
「ただでさえ美味いものへ、更に甘みが加わる。美味過ぎるとしか考えられん」
店の入り口手前からカスタードクリームの甘い香りがする。その匂いを感じながら嬉々として語った。どうしようもなく楽しみにしているのが相手にも伝わっているようで、カイルはそれまで以上に笑んでくれる。
「楽しみですねー」
彼はこちらに同調してくれた。相手の笑みによって、ここに来るまでの道中以上に自分の頰が緩んだと実感する。
店内に入ると、そこから一番奥の席に通された。程なくして店員が水の入ったグラスを運んで来てくれる。その時に目的の品と飲み物を注文した。
店内は自分たち以外にも、何人かの客がそれぞれ席に着いて寛いでいる。席の一つ一つはとても広く設けられているので、よほど騒がない限りは周囲にそこまで気を遣う必要はないと考えられた。自分たちの周りには誰もいないので、尚更思う。
逸る気持ちを落ち着かせようと、運ばれたグラスに口をつけて水を含む。その側面には花の彫刻があしらわれている。小粋な造形がカイルも気になるのか、手にしたまま色々な角度から眺めていた。
「ガラスにこんな細かくお花が彫れるなんて、すごいなー。これ、確か街中のあちこちで咲いていたやつですよね?」
「よく、そこまで気付いたな?」
彼の観察力は健在だと感心する。
「ゲオルグ殿はこれから食べられるアップルパイで頭がいっぱいだから、盲目になってるだけですよー」
笑いながらカイルは言う。彼から見て自分は、そこまで周りが見えなくなっているように映っているのか。
「俺から見ても、これが繊細で綺麗だって事ぐらいわかってるぞ?」
「ほんとですかー?」
苦笑しながら話すと、からかうような言葉が返ってくる。疑われても仕方がないほど自分は浮かれているとは認めるが、盲目とまではいかない。現に、甘味以外について考えている事が一つある。
「おまえがそれを持つ事で、双方の美しさが一層映えるな」
それを深く考えず率直に呟くと、グラスに口をつけていた相手がむせ込んだ。
「おい、大丈夫か?」
「……しれっとそういう事、言わないで下さい。ビックリしたー……」
呼吸を整えながら答えるカイルは、ばつが悪そうにしている。何が彼をそうさせたのか。
「俺は、本心を言ったまでだ」
ますます不思議に思いながらそれを口にすると、カイルの頰がわずかに赤く色づいていると気付く。どうやら彼にとっての不意打ちを仕掛けてしまったらしい。
「ずるいなー……」
相手側の行動をある程度読み、先回りに長けているこの男の意表を突けたのは嬉しい。
「嬉しそうですね?」
隠すつもりのない感情は、すぐに伝わる。
「思わぬ収穫だった」
「それは良かったですねー」
苦笑を浮かべながらも満更でもない様子が愛らしい。
「慣れていると思ったんだがな」
「え?」
無意識に漏れたひとりごとにカイルが反応した直後、心待ちにしていたアップルパイが運ばれて来る。その瞬間、カスタードクリームの香りを強く感じられた。甘い卵の匂いはプリンを思わせる。
カイルは紅茶のみを注文していた。一人分のパイと、二人分の飲み物がテーブルに置かれる。紅茶の注がれたカップもまた、グラス同様に洗練された造りだ。持ち手の蔦を模したような細く美しい曲線が印象的だと思う。再びこの男は手にしたそれを興味深そうに眺めている。やはりそれぞれの美しさを引き立て合っていると感じるが、その言葉は胸中に留めた。似たような事をそう何度も言うべきではないと思う。
まずは自分も紅茶をひと含みしようと、カップを持つ。自分が力を込めれば容易く折れてしまいそうな持ち手だ。しかしそれはあくまで、心の片隅で考える程度だった。力の加減は容易く行える。目前のアップルパイに気分が高まっているといえど、力の制御が困難になる事はない。早くそれを味わいたいと思う気持ちは嘘ではないが、大事に味わいたいという思いも同時に抱いているからこそ理性を保っていられる。長方形で網目模様のパイをデザート用の小さなフォークで一口分を取ろうとすれば、それを崩す事で軽い音が鳴る。
「わー、いい音」
「そうだな」
食欲が更にそそられると確かに感じながら口に運べば、口内にあふれる甘味に歓喜する。
まずは食感を楽しもうと端を取ったにもかかわらず、すでにカスタードと果実を感じられた。クリームの甘さが好みだと率直に思う。煮詰められた果実の甘みも程良い。それぞれの調和がたまらない美味しさを引き出していた。紅茶との相性も抜群だ。想像以上の味わいを堪能しているとカイルは肘をついて片頬に手を置き、笑みを浮かべながらゲオルグを見ている。
「それ、お持ち帰りも出来るみたいですねー。買っていったらどうです?」
席に着く前に見かけた店内の貼紙とメニューに書かれていたそれを、カイルも見ていたのだろう。そこまで全面的にすすめているのだから、よほど自信のある品と確信した。この味なら納得だ。実際にアップルパイを食べる前から、持ち帰り用にいくつか買って宿に戻ろうとしたのは決めていた。それも全て見通されていた事を嬉しく思う。この男の洞察力は相変わらずと再び感じるが、彼にそれを話せばこちらがわかりやすいだけだと笑うのだろう。
「多めに買って行く。おまえも食うといい」
「そっかー。じゃ、甘えちゃおうかなー」
今、口にしている甘味と共にカイルの柔らかな表情も堪能する。穏やかな笑みはこれまで何度も見てきたというのに、一向に飽きる気配は見当たらない。それほどまでに彼を愛しているからだ。とうに気付いて相手に打ち明けた思いを、心の奥底で再認識する。
「さっきの事なんですけど……」
「ん……?」
彼の一声が、想う事にのめり込みそうだった自分を引き戻す。心なしか、ばつが悪そうにしているのは何故かと興味を抱く。
「ゲオルグ殿が、オレをビックリさせた話でーす」
数分前の会話を指していると、すぐに察する。苦笑を浮かべた相手の話を聞こうと耳を傾けた。
「慣れてるのかと……って、あなたは言いましたけど。それは単に言い慣れているだけで、言われ慣れてはいませんよー」確かにその通りかもしれないと考えを改める。
「まさか突然、自分の容姿を褒められるなんて思ってもいませんでした。嬉しいけどー……」
少しずつ頰がより赤くなっていく様を見逃さないようにと眺めながら、そんな彼を可愛らしく思う。それと同時に、たった今改めた考えについて気付いた事がある。
「それこそ、異性に褒められ慣れていると思ったんだが」
すかさずそれを口にすると、カイルは一層笑む。苦笑はそれまでよりも薄くなっていた。その表情は、何処か得意げにも思える。
「確かに、そうでした。言われて思い出しましたよ。でも……あなたに言われるんじゃ、話は別でーす。ゲオルグ殿はオレにとって特別な人だしー」
囁かれたその言葉に不意を突かれた。表情こそ変えはしなかったが、一瞬動きを止めてしまう。それだけで動揺を相手は悟るだろう。得意げな表情は気のせいではなかったようだ。こちらの反応も最初から読まれていたとも考えられる。
「手が止まっちゃうぐらい、ビックリしたんですね」
「あぁ。さっきのおまえの気持ちが、よくわかった」
「それは何よりでーす」
それまでの表情に、悪戯めいたような感情が加わる。次々変わる彼の顔に見惚れていると、カイルが再び口を開く。
「いらないなら、オレが食べちゃいますよー?」
「それは困る」
彼の軽口を、こちらも軽口で返す。
再び手を動かし、ゆっくり味わいながらその後もカイルとの雑談は続いた。
「明日は何処に行きましょうかねー」
翌日も晴れそうだと天気の話をし終えた後で、彼が言う。
「そうだな……――」
ゲオルグはアップルパイの残り最後のひとかけらを口に運んだ後、言葉を返した。