夢の終わりに思う事

ゲオカイ。太陽宮没落後、カイルが単身でレインウォールに向かっている最中の話。

とある森の奥で一人。カイルは目を覚ました。ソルファレナから単身抜け出し、レインウォールに向かうその道中。ほんの少し休息をとろうと背中を樹に預けた。目を閉じた後、即座に眠りに就いたと考えられる。当初の予定よりも深く眠りについてしまったようだ。仮に追っ手の存在があったとしたらここで命を奪われていたかもしれない。と、自身の事ではあるが何処か他人事に捉えている。
もしもそうなってしまうのであれば、自分はそこまでの存在だったという事だ。……どうやら割り切ったと思ったはずではあるが、気を抜けばこうして自棄になってしまう。
起きてしまった事態を受け入れ、何も出来ずにいたなりに悪あがきもした。今もまだ出来る事がある。王子たちを加勢するという確固たる意志を胸に抱き、前だけを見据えていたはずであった。まだ自分はあの夜に捕らわれている。全ては先ほどまで見ていた夢のせいだ。とても優しい夢だった。

 

太陽宮は堕ちた。それなのにも関わらず、カイルは夢の中の出来事を夢と疑わずに過ごす。
公務をそれとなくこなし、詰所を抜け出して身を潜める。道行く侍女と談笑を楽しみ、王子とリオンと顔を合わせる。
これから城下町の見回りに公務として向かうので、今はサイアリーズを迎えに行く途中だと彼らは話してくれた。彼女もまた、この二人と同じ公務を命じられているらしい。それなら自分も同行したいと提案するが、
「カイルは先約があるんだろう? 」
と、やや不思議そうに王子が語る。そうだ。自分はこれから向かうべき所がある。
「いやー、そうでしたー。でも、惜しい事をしたな。久しぶりにみんなでお出掛けは絶対に楽しいだろうしー」
「カイル様。私たちは公務に向かうんですよ?」
こちらが軽口を叩いていると把握したうえで、リオンは笑みながら返す。
「公務だって楽しい方が断然いいでしょー。いいなー、リオンちゃんとサイアリーズ様とオレもご一緒したかったなー」
「じゃあ、それは次の機会にだな」
「はーい。二人とも、お気を付けて行ってらっしゃい。あ! サイアリーズ様にもよろしくお伝え下さいねー」
二人と別れ、再び宮内を歩く。不穏な影は徐々にその存在感を増している。それでもまだここは平和と言えるだろう。今の状況について整理しようとしたが、目的地が見えたのでそれは捨ておく事とした。
ここは何の変哲もない空室の入り口だ。引き続き周囲の気配を確認し、自分以外に誰もいないと判断した後にその部屋へ足を踏み入れる。空室と言えどそれなりの手入れは施されているようで、部屋の汚れなどについてはさほど気にならない。
外の景色を眺めながら穏やかに過ごす。この状況をザハークやアレニアに目撃されれば怠慢だと糾弾されるだろう。自覚はあるので、確かにそうかもしれないと感じる。だからと言えど今の態度を改める気は無いのだが。そんな事よりも別の事を考えようと頭の中を切り替え、今頃城下町に赴いている王子たちへ思いを馳せる。フェリドに連れられて来た当初と比べ、リオンも家族の一人のように馴染んでくれた事を喜ばしく思う。
リムスレーアやミアキスも、恐らく自分と同じく同行したいと願っていただろう。特にリムスレーアは、ここしばらく王子と共にいられる時間が以前よりも減ってしまった事を寂しく感じているに違いない。そんな彼女を面白がりつつもミアキスが優しく慰めている様子も容易に想像出来る。騎士や護衛を含め、本当に仲の良い家族だと改めて思う。とても微笑ましいといつぞやにガレオンも語っていた。仲睦まじいアルシュタートとフェリドを始め、自分は本当に王族が好きなのだと改めて実感する。だからこそ護りたい。
己の意志を再度確認したところで、この部屋のドアが開けられる。その当人も自分と同じく気配を消してここまで来た。
「あー。悔しいな。ドアを開けられるまで全然気付きませんでしたよ」
「俺もドアを開けるまでおまえがいると気付けなかった」
「おあいこですね」
「そうだな。ここだけの話、少し驚いた」
「そりゃ嬉しいな」
ゲオルグがこの部屋の内鍵を閉めた事を確認し、歩み寄って抱きしめる。
「あいつらから聞いたぞ? 一緒に着いて行きたかったんじゃなかったのか?」
「情報が早いなー」
この男は嫌味で言っているわけではなく、カイルを案じてくれているからこそ訊ねている。優しさ故の発言に心を温められた。
「まぁ、おっしゃる通りですけど。オレにとって優先したいのがこっちだったってだけです」
「そうか」
こちらの答えに安堵したのか、ようやくゲオルグもカイルを抱きしめ返してくれる。そしてどちらからともなく顔を近づけ、唇を重ね合った。
まさか自分が同性とこのような行為に及ぶ事になるとは。この関係を始めたばかりの頃は驚いていたが、今では慣れるどころか自ら進んでゲオルグを求めている。
身体をより密着させ、舌を絡め合う。身につけているものが煩わしいとさえ感じてしまうが、今はどうすることも出来ない。何も纏わずに肌を重ねるのは夜が更けてからだ。
誰も知る事のない二人の関係性。互いを求めているのはそれぞれしか知り得ない。それが何故か心地良い。
「ゲオルグ殿。今晩はオレが、そっちに行っても良いですか?」
「あぁ」
合間に会話を挟むが触れ合う事はそれぞれ止めようとしない。
不安要素は今も尚王族を脅かそうとその爪を研いでいる。それなのに自分は一体何をしているのか。一瞬そのような考えが浮かぶが既に捨て置く。あくまで自分は女王騎士だ。アルシュタートとフェリドの命を受けて動く。個人的に動く事は許されない。
「やったー。いっぱい可愛がってもらおーっと」
自分一人でどうする事も出来ない。それが不変の事実なのだから、今の内にこの男との時間を堪能しようとカイルは決めていた。
ゲオルグとこうして人目を忍んで互いを貪るこの瞬間だけは全てを忘れて身を委ね、自分も思うがまま相手に触れ続ける。今日はどのように抱いてくれるのか。期待を隠す事なく笑んで見せると、相手も同じく笑顔を浮かべてくれた。
空室にいたはずの自分たちはいつの間にかゲオルグの部屋に移動している。意識の繋ぎ目が曖昧ではあったが深く気に留めず、それまで以上の濃厚な行為に没頭した。もっと何も考えられなくして欲しい。その思いを秘めたまま、意識が遠退いていった。

 

夢から覚めた今だからこそ、記憶が不自然であった事も納得出来る。
空室からゲオルグの部屋に移動した時間の経過が曖昧だったのも夢ならではだ。
今、再び眠りに就けばあの続きが見られるだろうか? そしてその途中で何者かが自分の命を絶てば、その夢に閉じ込めてもらえるのではないか。事が起こる前の優しい日常。その終わりについて考えずにいられたらどれほど良いか……と、一瞬浮かんだ考えに苦笑する。そんな事は実現不可能だ。命を絶たれれば全てが終わる。ただそれだけだ。
カイルはその場から立ち上がり、いまだ薄暗い森の中を歩み始める。相変わらず身体の重さは残っていたが休息をとる前よりは幾分か回復したと思いたい。仮に休息が不充分であったとしても、これ以上立ち止まってはありもしない幻想に浸かりきってしまいそうであった。それだけは絶対にあってはならない。優しい夢を見続ける事で例え心が安らいでも、自分だけが今の事態から逃げる事などあり得ないとカイルは考えていた。
これまで以上に心を殺さなくては。身体が軋んでいるが気に留めない。今の自分はとてつもなく酷い顔をしているだろう。ふと、脳裏にゲオルグの姿が浮かぶ。彼が今のカイルを見たらどのように思うだろうか。あの時は共に各々で最善と思う行動を選択したが、彼は人知れず心を痛めるのだろう。それはゲオルグに限った事ではない。王子、リオン、サイアリーズ。太陽宮で別れる時、最後まで自分を案じてくれていた面々に今のような顔を見せてはならない。傷心している暇など自分には無いのだ。
(しっかりしろ。まだ、何もかも奪われたわけじゃない)
己に言い聞かせてカイルは新たな決意を胸に抱く。せめて自分だけは、事が起こる前の自分でいなくては。
愛しい者と大切に思っている者たちの姿を思い描けば不思議と足取りも軽くなる。一瞬でも求めてしまった夢の続きについては早々に忘れる事とした。求めるべきは過ぎてしまった事についてではなく、護りたい者たちの状況が好転する事のみだ。
いまだ脳内に響いている気がしたゲオルグの声すらも切り捨てる。愛しい思い出たち、己の嘆き全てを捨て置きカイルは先を急いだ。