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ゲオカイ

フェリドとの再会を経て、代わり映えのない彼の姿に安堵した後。単刀直入に、女王騎士として就任して欲しいと言われた事には、驚いていた。

これではますます、周囲の視線が痛ましいものになると、内心にて苦笑する。詳細についてはまた夜に語るので、それまで城下町にて時間を潰していて欲しいと言われた。
城下町となれば、それなりに広い。なので、時間を潰す事は容易だろうと考えたが。何を思ったのか、フェリドは自分に付き人を用意したと言った。
「俺が妙な真似をしないよう、監視をつけるつもりか?」
「そう言うな。あいつもそろそろ散歩させてやらんと、腐る一方だからな」
「なるほど。あんたは俺に、犬の散歩でもさせようってのか」
散歩をさせなければ、腐る。まるで犬のような付き人だと感じた事を伝えると、フェリドは豪快に笑う。
「とんだ例え方だな! まぁ、とりあえず。早く行ってやれ。でなければ、勝手に何処かに行ってしまうかもしれんぞ」
フェリドの躾がなっていないからではないのか? と、思いつつ。ゲオルグはその付き人が待っているという門の手前に向かう。
一体、どのような曲者が相手なのだろうか。しかし、先ほどのフェリドの様子からは、手を焼いているような素振りは感じられなかった。益々理解が出来ないと考えながら、外に出る。来た道を戻ると、そこには先ほど顔を合わせていた門番と談笑する、男の姿があった。その装束から、彼は女王騎士の一人であると認識した。
(なるほど。わざわざ付き人に、女王騎士殿を用意したのか)
近くまで歩み寄ろうとすると、それより先に男が気付く。
「あなたが、フェリド様の言ってた……ゲオルグ・プライム殿ですね?」
人好きのする、しかし底知れない何かを感じさせた笑みを浮かべつつ、男は微笑む。
「オレは、カイルっていいます。どうぞ、気軽にカイルと呼んで下さいね? ゲオルグ殿。あぁ、そうそう。少なくとも オレには敬語とかも、全然気にしなくていいですよ」
それが、カイルとの出会いであった。
カイルは、こちらが堅苦しい事が苦手である事を、瞬時に見抜いたのだろう。物腰が柔らかいと思わせながらもこちらの様子を探る姿勢に、油断は出来ない。当初は、そのように感じていた。

底知れない印象を抱きつつも、ゲオルグはカイルに好印象も同時に抱いていた。
道中、すれ違う女性に声をかけられていた様子から、軟派な男なのかと感じる。しかし、声をかけられたのは、女性だけではなかった。老人や子供も、カイルに声をかけていた。
城下町の者たちは皆、カイルを好いている事が窺える。カイルもまた、城下町の者たちを好いている事が伝わって来た。この国に来て、ようやく自分が穏やかな気持ちでいられている事を、ゲオルグは実感する。
「さすがは、女王騎士殿だな? おまえには、相当の人望があると見た」
街中を歩きながら率直に思った事を告げると、カイルは相変わらず笑みを浮かべながら、
「いやー、恐縮です」
と、返答した。その笑顔が、ゲオルグの心を和ませる。掴みどころのない相手ではあるが、共に過ごしていて悪い気はしない。それも、カイルの魅力の一つなのかもしれないと思う。
「そろそろ、街中も一通り歩き終えますけど。太陽宮に戻る前に、一箇所。フェリド様から、どうしても寄ってやれって言われた場所があるんですけど……着いて来てくれますか?」
「勿論だ」
特別、断る理由も無い。なので、カイルの提案に乗る事とした。
その提案にフェリドが絡んでいるのであれば、これから何処に向かうかは大方予想がつく。カイルの後に着いて行った先には、ゲオルグが考えていた通り、甘味処があった。
「甘いものが、お好きなんですよね?」
「あぁ。まさかこの国に来て早々、好物にありつけるとは思っていなかった」
「本当だったんですね。フェリド様の言う事だから、絶対に間違いは無いとは思ってましたけど。やっぱ、ほんの少しだけは疑ってました」
これまで甘味を好んでいると言えば、周囲には意外だと決まって返されていた。カイルも、例外ではなかった。
「あなたを初めて見た時は、とてもそんな人には見えませんでした。でも、人は見かけによりませんよね。フェリド様のご友人殿ですもん。きっと、この人はオレの想像以上に、面白い人だって思ってました」
太陽宮に足を踏み入れて間もない頃。一つだけ異なっていた視線は、この男のものであったのかもしれない。都合のいい解釈とは自覚していたが、ゲオルグはそのように思う事にした。
カイルに興味を抱かれる事に、悪い気はしない。むしろ、快くさえ思っていた。

甘味処にてケーキを食べた後。この店は、持ち帰り対応もしているとカイルから聞く。それを聞いたゲオルグは、ケーキを何個か購入し、太陽宮に戻ろうと道を歩く。
「本当に、甘いものがお好きなんですね」
「あぁ。こんなに気持ちが満たされているのは、カイルのおかげだ」
用意された自室にて、酒と共に食べよう。まずは、どのケーキからにするか。等、心を弾ませながら感謝の意を告げる。
気持ちが浮ついているのは、思うがままに買いたい物を買えただけではない。と、気付いていた。
カイルといる事で、心から楽しさを見出している。
街の者たちが、カイルを好いていた意味も充分理解出来た。その者たちの中に、自分も加わりつつある。
太陽宮に続く長い橋を渡り始める頃には、空の色も変わり始めている事に気付く。先ほどよりも、風が吹き始めていた。
確か、カイルと城下町に向かったのは、昼を過ぎて間もない頃だ。こんな時間まで、カイルと過ごしていたのか。一時はどうなるかと考えもしたが、今ではこの時間が終わってしまう事を、名残惜しく思う。自分の少し先を歩くカイルの背中を見つめながら、密かに考えていた。
風がより強く吹く事で、彼の装束や長い髪もなびく。気付けば、その後ろ姿を目で追う事に夢中になる。しかし、カイルが何かを言っていたようなので、内心慌てて耳を傾けた。
「――……ね? 綺麗な国でしょう?」
「……」
不意に、カイルがこちらへ振り向く。髪を耳にかけながら囁く彼に、ゲオルグは心の底から見惚れてしまう。
「あぁ、そうだな」
相手に同意していると言わんばかりに、平然と返す。

――――

男の名は、ゲオルグ・プライム。実年齢は、見た目より若い。一見、強面に見えるが、気さくな人物である。
それと、甘味はこのうえなく好物であるので。城下町の案内を一通り終えた後、甘味処へ連れて行ってやって欲しい……等、フェリドから彼の旧友に関する、様々な話を聞く事が出来た。
聞けば聞くほど、カイルはゲオルグに興味を持つ。彼がファレナを訪れた当日。兵士にフェリドの元へ案内されている、その男の姿を見た。
(この人が、フェリド様の……)
その見た目だけでは、ゲオルグがどのような男であるかは判断しかねる。やはり、実際に話してみなくては。
兵士と話す彼の様子を見る限りでは、フェリド同様に話しやすい相手だと認識する。
余所者云々と、陰湿な貴族共の陰口に内心舌打ちしながらも、早くこの男と話してみたいと強く思っていた。
それから城下町を案内し終え、やはりゲオルグは面白い相手だとカイルは実感する。
話しやすいと思ったからこそ。少々喋り過ぎたとも感じた。いくら相手がフェリドの友人であったとしても、まずは相手の様子を窺おうと思ったのに。
カイルが何かを話すと、ゲオルグは微笑みながら続きを促してくれた。それがとても、心地良かったのだ。ゲオルグの話もまた、とても興味深いものであった。少年時代のフェリドの話を始め、ゲオルグがこの国に訪れるまでは何をしていたか、チーズケーキを美味しそうに頬張りながら語ってくれた。その様に、カイルは心を和ませる。甘味が本当に好きなのだと、思いを留める事なく呟くと。笑みと共に肯定された。
フェリドの言っていた通り。彼はカイルからしても、好感を持てる相手であった。この男と、数日後には女王騎士として務める。今以上に、日々が楽しく感じられそうだ。
しかしカイルは、楽観ばかりをしているわけではなかった。
フェリドが旧友を喚んだ。それは、ここにいる女王騎士たちだけでは、この国に巣食う不安因子を取り除く事は出来ない。と、フェリド自身が判断しているのだろう。カイルは、自分だけでは駄目であったのか。と、僅かではあるが、複雑な思いも抱いていた。
綺麗な国とは、言ってみせたが。実際は、お世辞にもそうとは言えない。様々な思惑が渦巻き、息苦しい。自分の大好きな家族の美しい国が、貴族共に食い荒らされようとしている。それが現状だが。あの橋の上から見える夕陽は、その日も変わらず美しく思えた。
その当日だけでは、ゲオルグの心境の奥底までを窺う事は出来ず。相手が何を思って、あの橋を歩いていたかもわかりかねたが。その時の事は、カイルにとって穏やかな時間であった。
今、この瞬間の終わりを名残惜しく思いつつ。カイルは、少しずつ覚悟を決める。
恐らく、これから先。何かが起こると想定していたからだ。

ゲオルグの女王騎士就任前日。これ以降は酒を嗜む事が出来なくなるので、今日の内に嗜んでおけ。と、彼がフェリドに告げられた。 カイルがそれをゲオルグ本人から聞いたのは、今日の公務を終えた後であった。
「立場上、フェリドは如何なる理由があったとしても、酒を嗜むべきではないと思っている。騎士長閣下という立場が無ければ、付き合う気でいたらしいがな」
「なるほど。まぁ、しょうがないですよね。これも仕来たりってやつですし」
「あぁ。だから、おまえにフェリドの代わりをしてもらう事になった」
「はい……?」
突然の話に、カイルは耳を疑う。友人を差し置いた一人酒は寂しく感じるだろうと、他人事ながらに考えていた矢先、まさか自分が誘いを受ける事になるとは。
「オレも、女王騎士ですよ?」
それはゲオルグも理解しているとは思うが、口にしてしまう。
「あぁ。それは俺もフェリドに言った。だが、あいつはおまえを信じているらしい。明日以降に支障が出ない程度に、俺に付き合ってくれると言っていた」
「はー、そうですか」
ゲオルグから事情を聞き、その事柄については悪い気はしない。むしろ、嬉しい。最初は自分が不良であるからと、諦め半分で言われているかと思ったが。信頼されているのであれば、この男の誘いを断る理由は無い。
「無理強いはしない。フェリドはそう言っていたが、俺はカイル自身の意見を尊重したいからな」
「お気遣い、ありがとうございます。でも。オレ、ゲオルグ殿とお酒が飲めるなら、是非ともお付き合いしたいなー」
心からの思いを告げると、ゲオルグは何故か苦笑を浮かべる。何か、彼なりに思う事があるのだろうか?
「あのー。もし、ゲオルグ殿がオレにお酒を飲ませる事について、気が引けるなら……遠慮しましょうか?」
「いや、すまん。そういう事を言わせたかったわけではなくてな。俺もお前が付き合ってくれるのであれば、こんなに嬉しい事は無い。ただ、フェリドに言われた事を思い出した。それだけだ」
「何を、言われたんですか?」
「俺が男で良かったな。と、言われた。仮に俺が女であれば、とてもではないが酒に付き合わせるわけにはいかん。と、それがあいつの本心らしい」
さすが、フェリドはこちらをよく見てくれている。ここまで意気投合している相手が異性であれば、間違いなく自分は距離を詰めようと考えるだろう。騎士長閣下が直々に、禁則であるはずの飲酒を秘密裏に許可した。この機会を存分に利用しただろうと、カイルも苦笑を浮かべた。
「あの方の、仰る通りですね。オレ、ゲオルグ殿が女性だったら……確かに黙ってませんし」
「……」
ゲオルグは相変わらず苦笑を浮かべていたが、口を閉ざしたままでいたので、何を考えているかはわかりかねる。
「で? オレは結局、どうしたらいいんですか? お付き合いした方がいいです? それとも、お断りする方がご希望ですか? ……オレとしては、やっぱゲオルグ殿とは飲んでみたいなー」
「それなら、その言葉に甘えるとしよう。せっかくフェリドが与えてくれた機会だ。ものにしないわけにはいかない」
そこまで自分と酒を飲みたいと思ってくれるのであれば、嫌な気はしない。この男に好かれている事を実感し、カイルは嬉しく思っていた。

その夜。軽い足取りでゲオルグの部屋に向かう。晩酌は彼の部屋にて行う事となった。
「ゲオルグ殿ー。入りますよ」
ドアを数回叩き、開ける。彼の部屋へ足を踏み入れると、ベッド近くのテーブルにて、既に晩酌の準備が施されていた。
自分の部屋と、変わりのないゲオルグの部屋。そうであるはずなのに、どうも新鮮だと感じてしまう。思えば、他の女王騎士の自室へ足を踏み入れた事が、初めてであるからかもしれない。
「悪いな。椅子が一人分しか無いから、俺はこっちにするぞ」
テーブル付近に置かれていた一人用の椅子に腰掛けるよう、促される。ゲオルグは、ベッドにて腰掛けていた。
「いえいえ、お構いなく。今日はお誘い、ありがとうございます」
「こちらこそ」
椅子に腰を下ろしながら伝えると、笑みと共に返される。それに伴い、こちらも自然と笑みが浮かんだ。
テーブルに目をやると、二人分の杯に、一本の酒瓶。肴のチーズ数種類。そして、ゲオルグ用であろう、チーズケーキが置かれていた。
「本当に、お酒と一緒にケーキも食べるんですね」
「あぁ。フェリドには変わっていると、よく笑われていた」
「確かに変わっているとは思いますけど、そこもゲオルグ殿の魅力の一つなんじゃないかなー……なんてね。失礼しました」
今のは、一言多かったかもしれない。気を抜けば飛び出してしまう軽口に、内心苦笑を浮かべる。
それほどまでに、自分はこの男に心を許してしまっていると実感した。
「あ。準備は全部そちらがやって下さったんで、お酌はオレにやらせて下さい」
ゲオルグが酒瓶の蓋を開けたところで声をかけると、快くカイルに渡してくれた。
「ありがとうございます。そういえば、いつの間に、こんな肴も用意して下さっていたんですね?」
「全部、フェリドが手配してくれた。この酒も、お前が騎士になる前によく飲んでいたものだと、あいつが教えてくれた」
「わー。大分前の話だってのに、フェリド様は覚えていてくれたんですね。明日、こっそりお礼を言わないと」
「俺も明日、改めて礼を言おう」
互いのグラスに、酒を注ぎ終えた。瓶を置き、グラスを手に取る。ほぼ同時に、ゲオルグもグラスを手に取った。
「ゲオルグ殿。女王騎士就任、おめでとうございます」
グラスを差し出すと、こちらのやろうとしている事を把握してくれていたのか、ゲオルグのグラスがこちらのグラスへ軽く当てられた。
「それと、改めてありがとうございます。まさか今日、お酒が飲めるなんて。全然考えていませんでしたし」
「こちらこそだ。禁酒前夜が一人酒では、少しばかり寂しいと思っていたからな」
互いに酒をひと含みした後、ゲオルグがチーズケーキを食べ始める。相変わらずだと心を和ませまがら、カイルはチーズに手を伸ばした。
(相変わらず。だなんて、まだ出会ってちょっとしか経ってないのに。何考えてんだか)
日はまだ、浅いはずであるのに。まるでゲオルグとは、昔からの親しい知り合いであるかのようにカイルは接していると気付いていた。一定の距離から相手の様子を窺うはずが、今では自分からその距離を詰めてしまっている。
それほどまでに、ゲオルグは親しみやすい男であるのだ。だからこそであると、カイルは思う。
「一人酒は寂しいって、ゲオルグ殿でも思うんですか?」
「まぁな。元々一人でいる事の方が多かったが、思う時は思う。それに今は、近場に友人や、気の合う奴がいる。そいつらを差し置いて、自分だけがいい思いをするのは気が引ける」
「なるほど。やっぱゲオルグ殿って、お優しいんですね」
「優しいかどうかはわからんが、お前がそう言ってくれるのなら、そうだと受け取ろう」
久々に口にした酒は、とても懐かしい味がした。あまりに久しぶりであるせいか、とても美味しく感じる。最後に飲んだ時は、ここまで美味しいとは感じなかったはずだ。
自らが思っていた以上に、自分は酒を欲していたのだろうか?
「いい酒だ。これは初めて飲んだが、こいつともよく合う」
「お口に合ったなら、良かったです」
チーズケーキをまた一口、ゲオルグが美味しそうに含む。
「ゲオルグ殿。一つ、訊いてもいいですか?」
「何だ?」
「先ほど仰ってた、気の合う奴って……」
「おまえの事だ。気を悪くしたなら、すまん」
少しだけ気にかかっていた事を口にすると、潔く答えられた。
「あのー。何で、そうなるんですか? オレがそう言われて気を悪くするって、あなたは思ったんでしょうか?」
「男に好意を持たれる事は、好かんと思っていた」

――――

「……やはり、気付かれていたか」
「やはりも何も、あれだけ優しく口説かれれば……そう思いますよ?」
「口説く、か。俺はただ、思った事を言っただけだぞ?」
どうやら、無自覚のようだ。こちらよりも性質が悪いと、カイルは思う。
調子づいた発言だと思ったが、まさか本心であったとは。再びグラスを置き、その場から立ち上がる。
「カイル?」
そのまま、困惑気味のゲオルグの隣へ腰を下ろした。そして、やや距離を詰めつつ、彼を見つめる。
「それなら……ゲオルグ殿はどうやって、意中の相手を口説くんですか?」
「よくわからん。俺はお前のように、相手に対して口説き慣れているわけではないからな」
返す言葉も無い。ゲオルグ本人にも、自分の今までの女性遍歴については語っていたからだ。今更、言い訳する気も起きない。
「じゃあ、口説くとかそんなのは関係なく……あなたの思っている事とか、もっと知りたいです」
自分は、どうしてしまったのだろうか。本能に任せた片手は、ゲオルグの太腿に置かれる。
「おまえは、そういう事は女にしか許していないと思っていた」
「はい。オレもそうだって思ってたんですけど。何でかなー……」
太腿を撫でながら呟く。女性のような柔らかさは感じられない。だが。何故、気持ちが削がれないのか。
「いいですよ。オレもこうして触れてるんだから、ゲオルグ殿も。どうぞ?」
ゲオルグは何も言わず、ただ微笑むのみであった。
(そうそう、その顔。結構、好きかも)
見惚れていると、いつの間にか杯を置いたゲオルグの手が、カイルの頰へ触れられる。無骨な手は、何処までも優しいものであった。
頰に置かれたその手に、自らの手を重ねる。この時点で、カイルは考える事をやめた。ただ本能に従い、ゲオルグへ身を委ねてみる。
もう片方の手が、カイルの髪に触れる。やはりその手も優しく、心地良く感じた。
「髪……このままじゃ、ちょっと触れにくいですよね。ちょっと待ってて下さい」
太腿を撫でていた手を外し、青紐を解く。
「綺麗だ」
「どうも、ありがとうございます」
そういったところが、口説いているのだ。ゲオルグの言葉と、その手に、少しずつ侵食されていくような気がする。
(髪撫でられるの、気持ちいいな……)
こちらもゲオルグの後頭に手を伸ばし、彼の短い髪に触れる。思ったよりも指通りのいい感触に、ため息が漏れそうになった。
「ゲオルグ殿」
「何だ」
「触れていいのは、指でだけだなんて……一言も言っていませんよ?」
「……本当に、いいのか?」
「自分だけがしたいような言い方は、して欲しくないです」
純粋な、興味であった。同性は守備範囲外であると思っていた自分が、ここまで乗り気なのだ。
これは本当に酔っているだけの感情なのか、怪しくなって来る。だが、今はどうでもいい。
自らの人差し指を、唇に置いて見せる。その手をゲオルグの手に取られ、指先に彼の唇が触れた。
その触れ方もまた、何処までも優しい。
「ゲオルグ殿……」
今度はこちらから、相手の頰に触れる。それに伴ってか、ゲオルグの片手も再びカイルの頰に触れた。
すぐに唇を重ねて来るとも考えたが、ゲオルグはカイルの頰や、鼻先に唇を当てる。自惚れかもしれないが、愛されている気がした。
(自惚れでも、何でもいいや)
どちらともなく唇が触れ合い、カイルはゲオルグを抱きしめた。
今、この瞬間を堪能しなければ。それは相手にいい思いをさせたいと同時に、自分もまた、心から楽しみたい。心からの思いであった。

その後、特に約束を交わしたわけではないが。カイルとゲオルグとの仲は、親密さを増していった。指と唇で触れ合うだけでは次第に満足出来ず、気付けば身体も繋げていた。
周囲には一切悟られず、二人だけの時間を深く味わう。
(ずっと、こんな時が続けばいいのに)
叶わぬ事だとは理解しているが、願わずにはいられない。
こちらが望まなくとも、事態は起きてしまう。今この瞬間こそ、彼と過ごす事の出来る最後の時かもしれない。何度も何度も、ゲオルグに抱かれるたびに思った。
太陽宮が堕とされた時。彼が裏切り者だと疑われた時。女王親征。何度も、別離を覚悟していたが。実際、ゲオルグとは今もこうして言葉を交わせている。しかし。自分が守りたかったものの多くは、失われてしまった。

「こんなもんですかね」
「そうだな」
片付けを終えたサイアリーズの部屋を見回し、一息つく。
「あ、そうだ! せっかくですし。最後にまた、サイアリーズ様のお墓参り……行きませんか」
「俺も、同じ事を言おうとしていた」
互いに顔を見合わせ、微笑む。
この場所に居られる事も、残りわずか。最後に……と、口にした事で、実感がわいた。

墓参りを終え、再びゲオルグの部屋に戻る。
ベッドにて二人で腰掛け、他愛無い話をしている内に。日没を迎えたこの部屋が、少しずつ暗くなっていった。
「すっかり、さっぱりしちゃってましたね。片付けを手伝ってる時から、薄々感じてましたけど」
「あぁ。いよいよ、ここで過ごす事も今日で最後だと、実感がわいた」
先ほど感じていた事を、ゲオルグが口にする。元々、考え方は似ていると思っていたが。ここでもまた、心持ちが一致していた事に、カイルは思わず笑みをこぼした。
「どうした?」
「いやー、オレも同じ事を考えてたから、やっぱ気が合うなーって思ったら……嬉しくって」
「相変わらずおまえは、口が上手いな」
「本心を言ってるだけです。でも、ありがとうございます」
隠す事なく、思いを伝えた。すると、ゲオルグの表情が、少しずつ改まったものへと変わって行く。今の言葉で、何か感じた事があったのだろうか。
「カイル」
「はい」
いや。この男は、今から言おうとしている言葉を、予め準備していた。機会を見計らい、今がその時であると判断したに違いない。
「俺は、ファレナを出る」
「……まぁ、そうでしょうね」
この国の内乱は、ひとまず沈静化出来た。旧友との約束は果たせたと言っていいだろう。これで、彼がファレナに留まる理由は無くなった。
女王を手にかけた事について。それも、ゲオルグがこの国を出て行く事に関係しているだろう。
だが。友との約束を果たせた事が大部分の理由であると思うと、カイルは解釈する事とした。
「フェリド様とのお約束は、果たせたんですね」
「あぁ。この国で俺が成せる事は、もう何も無い」
清々しく語るゲオルグからは、この国に対する未練は感じられない。
「……俺と、来ないか」
「え……?」
「……すまん。聞かなかった事にしてくれ」
「はい。って、今のはさすがに無理ですよ?」
ばつが悪そうに、ゲオルグは苦笑する。その苦笑を見るのは久々で、懐かしい気持ちを抱くが。
今は、思い出に浸っている場合では無い。
「悪かった」
「いや。謝るんじゃなくて、詳細について聞かせて下さいよ」
「詳細、か。秘めておこうとした思いを、言葉にしてしまった」
「秘めておこうって……。ゲオルグ殿でも、うっかり口を滑らせる事もあるんですね」
「気が緩んでいる証拠だな」
それは、自分と二人きりで過ごしているからなのか。調子づいた考えではあるが、そのように思う。
ゲオルグは、自分をここから連れ出そうと考えてくれていたのか。そうであれば、自分はこの男に応えるだけだ。何と言葉を返そうかと考えていると、ゲオルグが再び口を開く。
「本当に、自分でも信じられん。恐らく、お前に対する未練が、口を滑らせたんだろう」
「人のせいにしないで下さい。まぁ、悪い気はしませんけど」
「すまん。……おまえの心底愛している国からおまえを連れ出す事は、叶わんとわかっていたんだがな」
「……」
何故、最初からゲオルグは諦めたような素振りを見せているのだろうか。この国を愛している事については、訂正するつもりはない。彼の中のどんな思いが、そのような顔をさせているのか。
「お前と初めて会った時。あの橋の上で、綺麗な国だと言ったお前の姿が、今でも鮮明に思い出せる」
「あー、そういえば。確かそんな事も言いましたね」
「あぁ。おまえは俺の方へ振り向きながら、そう言っただろう? 俺はあの時、そんなおまえに見惚れていた」
「へー。そんなに始めから、あなたはオレを意識してくれてたんですか」
初めて出会ったその日に、ゲオルグはカイルへ好意を抱いていたようだ。この男は、こちらが想像している以上に、カイルを好いていてくれていたのかもしれない。
「そうだ。この男は、本当にこの国を愛しているんだと、その時に感じた。そんなおまえに、俺は惹かれた。だからこそ。おまえをここから連れ出す事は叶わんと、そう思えた」
「そうだったんですね」
ゲオルグの手を取ろうとしか考えていなかったカイルは、それまでの意思を塗り替える。
「お気持ち、すごく嬉しいです。でも、オレ……レルカーの復興も、そろそろ手伝いに行きたいですし」
「やはり、お前はここに残るんだな」
それがゲオルグの中のカイルであるなら、そうあるべきだとカイルは思う。

――――

傍らにいたはずの温もりを、愛おしく思う。そこには、未練も含まれていると認める。取り残される事が、これほどまでに切ないものとは気付かずにいた。
せめて自分も眠るのではなく、いつかカイルがしてくれたように、見送りをすれば良かった。
今更考えても仕方の無い事柄ではあるが、考えずにはいられない。
見送りが出来なかった事。それも未練の内に入るが。大部分を占めているのは、自分の左目についてだ。
昨日。顔を見たいと言っていたカイルに対して、ゲオルグは考えていた。その言葉は、正面を向き合いたいだけではなく、この眼帯も外せという意味なのか。他でも無い、カイルであれば。この目の事について、言うべきである。それは、真っ先に思った。しかし。正面で向き合う体制を取った時点で、カイルは満足そうにしていた。よって、ゲオルグも眼帯を外す事はやめた。特別、見られたくないわけではない。ただ、両の目でカイルを見据えたら。相手が何と言おうとも、ゲオルグは愛しい彼をこの国から連れ去ってしまいたい衝動に駆られると思う。
(故郷に無頓着な俺には、おまえの気持ちが正直わからん)
なので。あの男とは、ここで別れようと決意する。彼の愛する国に、一個人ごときが勝るわけがない。
それでも、最後に素顔を見せるべきではなかったのか。今更迷ったところで、何の意味も為さない。

王子とリオンが本拠地にやって来たのは、昼過ぎにかけての事であった。
湖底に沈んだ本拠地に思いを馳せながら、ゲオルグは彼らに左目の事を明かす。そして、カイルにも告げた、自分がファレナを出る事も同時に伝えた。
王子とリオンは、この国でリムスレーアを支えて行く。二人の揺るぎない意思を、頼もしく思える。
「ゲオルグ――」
王子が改まった様子で、何かを言おうとした。だが。
「王子さん! リオン!」
背後から聞こえた声により、その言葉は途切れる。振り向くと、そこにはロイが立っていた。
「うわっ! 何だよ、ゲオルグのおっさんか。眼帯がねぇと変な感じだな?」
「悪かったな。驚かせてしまった」
「いや、気にすんな。こっちこそ、すげぇ驚いて悪かった」
「ロイ? どうしたの?」
「あぁ、そうだった。あのな。王子さん……リオンと、二人きりで話がしたい。だから、ちょっとだけいいか?」
「うん。僕はいいよ」
「はい。それが王子の意思であるなら、私も異論はありません」
話がまとまったところで、リオンとロイがこの場を離れる。何やら折り入った話がある事は窺えたが、深く追求しようとは思わない。
「ゲオルグ」
再度、王子に名を呼ばれる。彼の雰囲気もまた、何処か折り入った話があるように思えた。
「どうした? そんなに改まって」
「ごめん。これは、約束を破る事になるのかもしれないけど。それでも、ゲオルグに訊いておきたい事がある」
「約束? 何の話だ?」
「カイルとの、約束だ」
思わぬところで、その名を聞く事になるとは。危うく動揺が全面に出てしまいそうになるが、寸のところで耐える。
「単刀直入に訊く。ゲオルグは、カイルが女王騎士を辞めた事を知ってる?」
「! ……いや、初めて聞いたぞ」
今の言葉には、少々動揺を露わにしていたと思うが。よくよく考えれば、何も驚く事は無い。女王騎士を辞めたからといえど、ファレナを出る事には繋がらないはずだ。……本当に、そうと言えるか? 何故、カイルは女王騎士をやめたのか。動揺を抑えようと思えば思うほど、更なる動揺が生まれる。
「ゲオルグにも、言っていなかったか」
「それは、いつ聞いた?」
「カイルがここに来る前」
どうやら、本拠地の撤去作業を手伝っていた時には、既にカイルの意思は決まっていたようだ。
「あいつは……これからどうするつもりなんだ?」
「それもわからない。正直、決めていないと僕には話していた」
「レルカーに行くというのも、出任せだったのか」
「……いや。それは本当だと思う」
その言葉に対し、王子は否定とも取れる返答をする。
「根拠は、あるのか?」
「カイルは……過ぎた事についてごまかす事はあっても、これから起こる事について嘘をついた事は無い」
「確かに。あいつはそういう奴だったな」
「うん。太陽宮から逃げ出す時も、カイルは僕たちに「また」って言って別れた。その後、カイルは僕たちの元へ来てくれた。これが、根拠だ」
王子の言葉は、心から納得出来るものである。
ファレナを出る前に。寄らなくてはいけない場所が出来た。今度こそ、面と向かって別れの言葉をかけなくては。この目で、あの男の姿を焼き付けておきたい。と、考えがまとまったと思いきや。
ここでまた迷いが生まれる事も、十分に考えられる。見苦しく足掻く事よりも、後腐れなく別れる事の出来た今のままでいる事の方が、最善であるかもしれない。
「僕はてっきり、カイルはゲオルグと共に行くのかとばかり、考えていた」
「俺も、最初はそのつもりだった」
「……つもりだったって事は。誘ったんだね」
「あぁ。だが、断られた」
厳密に言えば、誘うつもりは無かったが。胸中に留めたはずの言葉を、無意識の内に吐き出してしまった事については、王子には伝える事なく飲み込んだ。
「それで、ゲオルグは納得出来たの?」
「……今、納得をしようとしているところだ」
隠す事なく、苦笑を浮かべながら答えた。まさか王子の目前で、このように情けない姿を晒す事になるとは。しかし、他者に打ち明けた事により、幾分か心が軽くなった気がする。
抱えたままでいるより、他者に打ち明ければ楽になれる。思わぬ打開策も、見つかるかもしれない。
ふと、フェリドが言っていた事を思い出した。
「わかった。ゲオルグは、今からレルカーに行くといい」
「おい。何故、そうなる?」
「だって、迷っているんだろう? だったらもう一度、カイルと会って話をするべきだ」
迷いなく、王子はゲオルグに告げる。その表情からは、絶対にそうすべきであると言わんばかりの強い意思が伝わってきた。
「もしかしたら、もうカイルはそこにいないかもしれない。もし会えなかったら、レルカーの甘味処に立ち寄ればいい。あそこの名物のクリーム餡蜜が、とても美味しかったんだ」
クリーム餡蜜については、このうえなく興味を抱く。しかし今は、その気持ちに従うわけにはいかない。このまま王子の話を聞いていたら、それまでの決心が揺らいでしまいそうに思えて来る。
「今なら、まだ間に合うかもしれない。だから、早く船に乗るんだ。丁度、レルカー行きの船がある」
王子の手が、ゲオルグの腕を掴む。そしてこちらの腕を引き、その場から歩き始める。船着場に向かうのだろうか。
「なぁ。おまえは何故、そこまでして俺をレルカーに行かせたい?」
「たった一度で諦めるのは、早過ぎると思うから」
ゲオルグに背を向けたまま、王子は言葉を続ける。その腕を掴む力も、出会った頃とは比べ物にならないほど、力強さを感じた。
「僕もこの戦いで、仲間になってくれた人たちの中には、何度もお願いした人もいた。厚かましいかもしれないって自覚はしていたけど。僕は、後悔していない」
「それはおまえ自身の器が、相手の心を動かしたんだ」
「今のゲオルグの言葉が、本当であるなら。きっと、ゲオルグにもその器がある。それは、僕には無いものだ」
「謙遜し過ぎだ」
「そんな事はない。だって僕は、カイルにしてあげられる事が、何一つ無いから」
どのような考えが、王子をそこまで後ろ向きにさせているのだろうか。遠目に船着場が見えて来た事を確認しつつ、考える。
「ゲオルグがファレナに来てから、カイルはそれまで以上に、笑うようになった」
「そう、なのか?」
「間違いないよ。だって、カイルと僕はそれなりに付き合いが長かったからね」
王子が嘘を言っているようには思えない。彼なりに確固たる考えがあるからこそ、そのように言えるのだろう。しかし、その考えまでは予想がつかない。
「女王騎士を辞めた彼を、僕が引き留められる術は無い。でも。ゲオルグにはある」
「何故、そこまで言い切れる?」
「君が、まだ迷っているから」
話を聞き続けても、王子の考えはいまだ理解しかねる。迷っているから、何だと言うのか。
「迷っているなら、諦めないで欲しい」
それが王子の心からの思いであると、ようやく理解出来た。
「頼むよ、ゲオルグ。これは僕からの、最後の願いだ」
船着場に辿り着き、船に乗るよう促される。
王子からの願いだと言われてしまえば、腹を括るしかない。フェリドから託された家族の思いを無碍にする事は、不本意である。
「どうか……君が、カイルに会えるように。心から祈るよ」
「……ありがとな。――」
礼を告げた後、王子の名を呼んだ。しかしそれは、間も無くの出発を知らせる船の音にかき消された。
「ゲオルグ! 今までありがとう! カイルと会えたら、ちゃんと話すんだよ!」
船の音に負けじと、王子が声を張りあげながら手を振る。
ゲオルグは王子の姿が見えなくなるまで、彼の姿を見つめ続けた。最後に見た王子の顔に、フェリドの面影を見た気がする。
(そうだな……もし、またあいつに会えたら……)
迷っていたはずの心は、いつのまにか決まっていた。今はただ、間に合うように。王子と同じ気持ちを抱いたゲオルグは、自らの本当の思いに従う事とした。

ゲオルグがレルカーに到着したのは、昼を過ぎた頃であった。復興作業の方は、既に収束しつつある。
(どうやら、遅かったのかもしれんな)
いや。後悔するなら、この街をくまなく探してからだ。わずかな希望を信じ、ゲオルグはカイルを探し始める。ここまで必死になったのは、いつ以来であったか。
脳裏には、初めて出会った頃のカイルがいる。思えばあの日も、今日のように穏やかな天候であったと思い出す。
ゲオルグがファレナに訪れてから、カイルはそれまで以上に笑うようになった。
王子の言葉も同時に過ぎり、ゲオルグはいたたまれない思いを抱く。
カイルが愛している国の危機を意味する、恐ろしい存在。自分はそのように思われていても、仕方がないと思っていた。それでも、気持ちよく接してくれているカイルに、気を遣わせてしまっているとも考えながら、惹かれる事を止められずにいた。
(あの笑顔は、心からのものだったのか?)
自分はカイルの恩人にあたる人物の友人である。だからこそ、こちらが望むような対応をしてくれていたのだと思う。
(あぁ、そうか。あいつが言っていた、カイルと話せと言うのは……)
自らの憶測のみで決めつけるのではなく、本人の口から話を聞け。王子が言わんとしていた事は、この事についてなのかもしれない。
街中を歩き続けると、甘味処の看板が目に入る。だが、今はそこへ立ち寄っている場合ではない。
行く先々で、カイルがここに来ていないかを訊ねて回る。今まで有力な情報は得られなかったが。
ここで初めて、物資の運搬を手伝っていたという情報を得られた。
彼は本当に、レルカーに立ち寄っていたようだ。そして、立て続けに耳を疑う情報も得る。
カイルは、甘味処に一人でいる。
あの男が進んで、甘味処に行くとは思えない。しかし。そう簡単に彼の姿を見間違う事は、無いと言ってもいいだろう。長身で、金髪。人目を惹く容姿。ゲオルグは、その情報を信じる事にした。
逸る気持ちを抑え、甘味処のドアを開ける。
もし、再びカイルと出逢えたなら。決めておいた事がある。その時は、己の気持ちを余す事なく伝えようと、決心を再確認する。
店内奥から、好きな席に着いていいと声が聞こえた。心拍数が、先ほどからあがり続けている。
本当に、カイルはここにいるのか……。店内を見回し、ゲオルグは目眩に似た何かを感じた。
(カイル……)
本拠地から別れて今まで。ひたすら思い焦がれていた相手が、そこにいてくれた。店内から一番奥まった席にて、何かを食べている。
先ほど以上に、逸る気持ちを何とか抑えこむ。ここには人目がある。折り入った話をする事は、得策ではない。様々な事を考えつつ、ゲオルグはカイルの元へ歩み寄る。カイルと、少しずつ距離を詰めて行く。席の目の前まで来ても、相手はこちらの存在に気付いていないようだ。
「持て余しているのであれば、俺がもらうぞ」
溶け始めていたアイスに目をやり、彼がその品を持て余していると、判断する。我ながら、ごく自然に話しかける事が出来た。
「ゲオルグ殿……」
ほんの少し。気のせいであるかもしれないが、カイルが驚いたような素振りが見えたと思う。自分がここに来た事、左目の事……様々な要因が考えられた。