春コミ新刊サンプル

ゲオカイ

旧友の息子と付き人に別れを告げた。何も早々に出国する事は無いだろうと彼らは言う。自らの立場を改めて説明しながら、この二人が別れを惜しんでくれている事を嬉しく思った。
後ろ髪が微かに引かれていると感じながら群島諸国行きの船に乗る。フェリドの故郷をこの目に焼き付けた後は何処に向かおうかと甲板に身を置いて考え始めた。あの国で抱いた思いは全て置いていこう。それがゲオルグの意思であった。
あえて欲を二つ述べるとしたら。フェリドの代わりに彼の息子の成長を見届けたかった。そしてもう一つは……と、その事柄を思い浮かべた直後。もう二度と聞こえないと思っていたはずの愛しい声が聞こえる。
「ゲオルグ殿ー!」
自分と同じく大柄の部類に入る身体を思わせない軽やかな足取りと共に、声の主が近付いて来る。
「ども! 再会出来て嬉しいです!」
「カイル……?」
彼にもまた、国を出る事については行き先を含めて予め話していた。数日前の出来事にも関わらず懐かしいと感じてしまう。しかし今は思い出に浸っている場合ではない。
「その格好はどうした? あいつかリムに隠密の任務でも与えられたのか?」
騎士服ではなく見慣れない服装の彼を眺めながら率直に訊ねる。
「そんなんじゃないですよ」
「そうか。なら、休暇でも与えられたのか?」
「いえ。女王騎士は辞めました。なので、オレも改めてフェリド様の故郷を見に行こうかなーって」
耳を疑う。あのカイルが女王騎士を退任するとは考えていなかったからだ。彼の真意を計りかねる。
「それなら、ひとまず目的地は同じなんだな」
「そうなりますね」
疑問は拭いきれないが今はそれを追求するべきではない。思いも寄らぬ事態により、優先して問いたい事がゲオルグの脳裏にはあった。
「おまえさえ良ければ、共に来ないか?」
「断る理由は無いですね。喜んでお供しますよー」
ファレナにいた頃の懐かしく愛しい記憶。その大元との再会により、ゲオルグは一度は捨てたはずの欲が溢れ出ていると気付く。もう少しだけカイルと共にいたいと願ってしまってもいいのだろうか? 彼が乗り気である事に安堵しながら思った。

あと少し。それは具体的にどれほどの期間なのだろうか。群島諸国に滞在して数日が経過した後に考える。カイルが女王騎士としてここにいるのであれば、彼がファレナへ戻る事がその時期の終わりを意味している。だがカイルは女王騎士を退任した。
「この後の行き先は決まっているのか?」
「いえ、特に」
滞在している宿屋の食堂で朝食を終え、一息つきながら問うとそのように返された。ファレナに戻るのかとは訊く気になれない。戻る気があるならば女王騎士退任はしないと考える故だ。
「俺はひとまずこの周辺を回るつもりだが……おまえはいつまで、俺と共にいてくれるんだ?」
その疑問を口にしてしまえば明確な終わりの時がわかってしまうので、カイルの口からその答えを聞く事を密かに恐れていた。別れが名残惜しいからだろう。よってこの話題には触れずに数日間を過ごしたがそれにも限界がある。一区切りをつけなくては、置いていこうと決めた彼への想いをいつまでも手放せない。覚悟を決めて問う。
「いつまででも」
「……?」
「数日前にあなたが言っていたのと似たようなものです。ゲオルグ殿さえ良ければ、オレは何処までもお供します」
「……」
何と答えを返せばいいのか。嬉しい、ならばこのまま共に。それらが今の気持ちではあるが安易に口にする事については躊躇う。カイルが自分に合わせてくれているかもしれないという仮定が、言葉を胸中に留めていた。
「もしかして、そろそろ一人で行動したい。そんな風に考えてますか?」
「違う」
今度は考えるよりも先に思いは言葉となった。
「少し、外の風に当たりましょうか。今のあなたは考えが凝り固まっているような気がするし」
彼に連れられ、宿屋から外に出る。またカイルに気を遣わせてしまった。これではファレナにいた時と何も変わらない。ひとまず灯台の方まで歩こうと言うカイルの提案に乗り、彼の隣を歩く。やはり気を遣ってくれているのか道中に先ほどの話はせず、今日の朝食も美味かった等と些細な事を相手は語っている。
「王子と一緒に来た時も思いましたけど。この国の料理も美味しいですよねー。人によっちゃ外国の食事ってのは全く口に合わない。なんて話もよくあるんですよね?」
「そうらしいな。フェリドがよく言っていた。自分の故郷は魚料理がとにかく美味いと」
「確かに言えています。あんなに美味しいお刺身を食べたのは初めてでした。ゲオルグ殿はフェリド様とご一緒で、色んな国に行った事があるんだから異国料理には慣れてそうだし……何でも美味しく召し上がりそうです。それと、甘い物は特に目がなさそうですね」
「あぁ。初めて訪れた国ではとにかく真っ先に甘味を探していた。フェリドにもよく笑われていたさ」
灯台の近くまで辿り着き、波止場からの景色を眺めながら答える。確かに自分は考え込み過ぎていたようだと海風に当たりながら実感した。心が先ほどよりも落ち着いたと思い、初めて気付く。
「ファレナのチーズケーキはどうでした? 国によって味付けも様々だと思うんですけど。って、訊くまでもないですよね。ゲオルグ殿、いっぱい買い込んでたから」
「お前の言う通りだ。ファレナには色んな種類のチーズケーキがあった。どれも絶品だったな」
「良かったー。それなら、ファレナでのいい思い出もゲオルグ殿にはあったって事ですね」
「チーズケーキだけがいい思い出だったわけではない」
たった今抱いた思いをこのまま話してしまってもいいのか。話す事で迷いはより強固になってしまうとも予想したが、カイルに聞いて欲しいという気持ちが最も強かった。
「耐えがたい事態も少なくなかった。だが、俺は全てを失ったわけではない。得られたものも存在している」
カイルとの秘めた関係や、フェリドの愛した家族との関わり。かけがえのない大切な思い出もあの国には存在している。
「ほんとに、そう思っているんですか?」
「嘘をついているように見えるか?」
「そうじゃないです。確認みたいなものですよ」
すっかり見慣れていた人好きのする笑顔を交えながら語るので、重要な話題への移り変わりを感じているがそれは間違いのようにも思える。
「思い出全部をファレナに置いていく。それであなたが満足なら何も言いません。でも、オレは思うんです。ゲオルグ殿はもっと欲張りになってもいいんじゃないかなー」
やはり話の続きをここでするのだろうと実感しながら相手の言葉を受け取る。彼の優しさは深く心に沁みた。本当にこの男の言う通りにしてもいいのか。