スパコミ新刊サンプル

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春コミ新刊「旅立ちの前」の続編。(→サンプル
ファレナや群島諸国から更に離れた北の地で、ゲオルグとカイルが観光を楽しみながら互いへの想いを温める話。

群島諸国に向かう船で再会を果たし、その後彼の手を引いた。今も鮮明に思い出せるが、遠い昔のようにも感じる。それもそのはずだ。あれから時間をかけてここまで来た。ファレナにいた時よりも遥かに気兼ねなくカイルと共にいられる事を、ゲオルグは嬉しく思っていた。
「そろそろ目的地ですね。いやー、随分と遠いところまで来たんだなーって思いますよ」
「あぁ。えらく時間をかけてしまったが、体感はそれほどでもなかったな。おまえとの旅路は想像以上に楽しい」
退屈などするわけがない。毎日があまりに満ち足りている。自分がこの多大な幸せを噛みしめてしまってもいいのか。多少の後ろめたさは常にあったが、早々に手放すつもりはなかった。
惜しげなく思いを告げるとカイルが得意げに笑む。
「嬉しいなー。自信持っていいですよ? 旅を楽しめるのは女の子とだけ。なーんて、ファレナにいる時はいつも思ってましたから」
「あいつ相手にも、同性だけの編成に平気で文句を言っていたからな」
「いや、あれは文句じゃなくて単なる感想ですよ? むさ苦しいパーティは王子の士気にも絶対関わってくるって思いましたし」
「そうか。それは悪かった」
「それ、心からの言葉じゃないでしょー」
「気付かれていたか」
歩みを進めながら軽口を交わして笑い合う。群島諸国を発った日から今まで、ずっとこの調子だ。他愛無い話を繰り返すだけの日々。焦がれた事もあったが早々に捨ててしまった願いであった。
この男と過ごす日々はとにかく愛おしい。これではカイルと益々離れがたくなる。この先も共になどと、いっそ夢見がちな思いだけを抱けていたらどれほど良かったか。
カイルが現状を楽しんでくれているのは幸いだ。飽きる事なく今も隣を歩いてくれて嬉しい。
そんな彼が言っていた通り、そろそろ目的地周辺まで歩いて来た。道に積もる雪は始祖の地の物とは別物だと感じる。おかしな話ではあるが、靴底から伝わる柔らかな感触が楽しい。雪はこんなに柔らかかっただろうか? 以前に雪道を歩いた時はただ、冷たいとしか感じていなかったはずだ。不思議な感覚を抱きながら寒さも同時に感じていた。
気温が低く、どちらかが口を開いて言葉を発するだけで白い息が漏れる。カイルの鼻が赤い。
この男は肌が白いので余計に目立っている。恐らく彼ほど目立ってはいないが自分の鼻も同じなのだろう。
「……どうした?」
カイルが歩みを止めるのでこちらもそれに伴いその場に止まる。横顔を覗き見ていた事が要因なのか。だとすれば、どうしたと問いたいのは相手の方かもしれない。前を見るわけでなく、気付けばカイルの横顔を眺めながら歩いていた。この男が不審に思うなどして足を止める事も頷ける。
「やっぱ、慣れませんね。自分じゃもうそろそろ慣れたつもりなんだけどなー」
「ん……?」
予想とは違う言葉にほんの少し困惑しながら、耳を傾けようと思う。カイルは何故か苦笑を浮かべてゲオルグを正面から見つめる。横顔を眺めていた時以上に鼻が赤いとわかった。ゲオルグもまた、カイルを正面から見据える。
「ほんと、男前だなー。元々そうだとは思ってましたけど……あなたの素顔は余計にそう思わされます。見れば見るほど、いい男ですね」
「何だ。そうだったのか」
「はい?」
「おまえも同じような事を考えていたんだな」
こちらの意思を察したのか、カイルは確信めいた表情を浮かべた。
「見れば見るほど、綺麗だ」
相手は既にこちらが何を言うかを理解していたのだろう。しかし、ゲオルグはあえて口にする。
「片目で見ていた時から常に思っていたが、両目で見るおまえに改めて見惚れていた」
「へー。相変わらず心情を隠すのがお上手なんだから。初めてあなたがその両目でオレを見て下さった時に、まさかそこまで思ってくれてるってのまでは気付きませんでした」
心情を隠す事に長けているのは、むしろ彼だろう。たった今抱いた思いは口にせず、心の隅に置いておく。
「嬉しいなー。ゲオルグ殿がそんな風に思ってくれてたなんて」
言葉通りの笑みを浮かべて語るこの男を見ていたい。それ故にゲオルグは言葉を飲み込む。
せっかく相手が褒めてくれているのだから、素直に受け止めるのみにしておく。
「あぁ、思うさ。ずっと見ていても飽きないな」
「口説き上手なんだからー」
「そんなつもりはない。本心を言っているだけだ」
「そういうところですってば」
「?」
カイルの考えはわかりかねたが、不快にさせたわけではないようなので良しとする。
「まー、そこもあなたの良いところの一つだし。嫌いじゃないですよ、ちょっと抜けてるところも」
仮定は相手の言葉をもって確信となる。少々抜けていると思われているのは微かに不本意とも感じるが、カイルが楽しそうにしているのだから深く気に留めたりはしない。相手の心境を第一に考えているのだから、つくづく自分はこの男に甘いと痛感する。よほど己の手に負えないほどにカイルを愛しているからこそだ。あと少しと思いながらも、カイルを手放そうとは思えない。二つの相容れない気持ちがゲオルグの心に巣食っている。
カイルをここまで連れて来る事が出来た。密かな目的を達成したのだから、後に彼とはまた今後についてを話し合わなくては。
「それは困ったな。そんな自覚は持ち合わせていないが事実なんだろうな。現に、何度もおまえに気を遣ってもらっている」
「悪いなとか、思わないで下さいね? そんな風に思わせたいわけじゃありませんから。それにゲオルグ殿は、こっちがお願いすれば応えてくれるじゃないですか。オレ、すごーく嬉しいんですからね。いつも思ってます」
その言葉を聞いてまた嬉しく思う。常にこちらに合わせてもらっていると考えているだけに、自分も相手に応えようと意識していた。結果それがカイルに喜びをもたらしていたのであればこれほど嬉しい事はない。密かに思いながら再び歩き始める。
それまでと同じく談笑しながら見晴らしの良い坂道を下り始めたところで、遠くに街が見えて来た。
「あ! 街が見えて来ましたね!」
「そうだな」
「とりあえず、行ってみません?」
「俺も同じ事を言おうとしていた」
またカイルは先回りをしてゲオルグの言葉を待っていてくれていたのかもしれない。脳裏に数日前の出来事を思い起こしながら、本当にファレナにいた頃から何も変わらないと痛感した。

 

これまでの旅路は野宿も珍しい話ではなかった。不自由な思いをさせてしまっていると考えたが、カイルは野宿ですら楽しんでくれていた。ゲオルグとの旅は退屈しないと道中よく口にしてくれる。それが救いだった。
数日前の出来事というのは、山間で見つけた宿屋にて身を置いた時の話だ。久々のベッドでの就寝はカイルも喜んでいた。そんな彼の様子に心を和ませていた時。
「ゲオルグ殿。しないんですか?」
「……」
「そんなに驚きます? でも、驚いてんのはオレの方なんだけどなー」
就寝しようと身体を横たえていたゲオルグのベッドに腰掛け、カイルは話を続ける。
「群島諸国を発って、今まで何度か宿屋に泊まる事もあった。オレとしてはその度にようやく触れてもらえるのかなーって、いっつも期待してたんですけど。今日もそんなつもりは無さそうですね」
そうだと言えば、それは嘘になる。触れたい欲は常にあった。だが、先は長いのだから焦る事はないと考える。故に彼と再会して以来ゲオルグはカイルを一度たりとも抱かずにいた。
「ゲオルグ殿はどう思ってるか知りませんけど……オレは、あなたに触れて欲しい。いや、ちょっと違うな。それはもちろんですけど、オレも触れたいです」
「カイル……」
急かす事で相手に呆れられてしまうと懸念し続けていたからこそゲオルグは都合のいい夢を見ているのかと思えてしまう。だが、これは現に起きている。
「これはオレが勝手に思い立ってしている事です。だから、どうしても嫌だったら――」
阻止しろ。とでも、相手は言おうとしたのだろうか。話全てを聞き終える前にカイルの腕を引き寄せる。同時に身体を起こして抱き寄せた。
「おまえだけが、触れたいと思うな」
そう思 わせるよう仕向けた要因はこちらにある。自覚していたので申し訳なく思いながら、カイルの結われていない髪を頭頂から後頭部にかけて撫でた。
「良かったー。もうオレとは、そういった意味では一緒にいたくないのかなって思いましたから」
心からの言葉ではない。カイルがこちらを試すような雰囲気で呟いているからだ。気を遣わせてしまった。先回りをしてくれたと、この時も思った。
「そんなわけないって自信を持ってはいましたけど。それでもやっぱり不安にはなりますよね」
「すまなかった」
今更謝罪したところでどうにもならない。しかし謝らずにはいられなかった。
「はい。あなたもオレを欲していないわけじゃないってわかったんで、そんなお顔をしないで下さい。ね?」
額を合わせられ、至近距離でカイルは囁く。
「髪、もっと触ってほしいなー」
彼の望みに応えるべく、後頭部に置いていた手を再び動かす。頭を撫で、長く美しい髪の毛先までを丁寧に梳く。
「ゲオルグ殿に頭を撫でてもらうの、気に入ってるんですよね」
甘えるように擦り寄りながら囁かれる。どうやら気を良くしてくれているようだ。もっと良くなって欲しい。その思いを込めて問う。
「他に、触れて欲しいところはあるか?」
「……」
「おい、どうした?」
突然カイルが腕の中で身体を震わせる。表情を窺うと、彼は笑みを浮かべていた。そこまで面白い言葉を呟いた覚えはない。
「あー、すみません。そういうのって、抱く側が抱かれる側の口から言わせたくて意地悪っぽく言うのがよくある話じゃないですか。でも、あなたは違う」
ゲオルグの左頰に掌を当てながらカイルは言葉を続ける。
「ゲオルグ殿はオレを想って、いっぱい優しくしたいって伝わってくるんです。それが、すごーく嬉しくって」
「……」
「照れてますね?」
「否定はせん」
「可愛い……」
左頰だけではなく、右頰にも掌を置かれる。両頰を撫でられながら左瞼に唇が当たった。
「そうだ。他に触れて欲しいところ、でしたよね」
ゲオルグの首に両腕を回し、吐息がかかるほどの至近距離で話す。
「あなたが触れたいと思うところを、どうぞ余す事なく。オレも触れさせてもらいますから」
カイルの唇が今度は額に押し当てられる。この男の望みを叶えたい。相手に腕を引いてもらっているだけの状況もほんのわずかではあるが癪と思う。カイルの思いに沿うと同時に状況を打開しようと、ゲオルグはこれまで連れ添った枷を外す。
「髪……お好きですね」
頭から髪に引き続き触れる。耳の付け根に唇を押し当てた後に言われた。
「髪だけではない」
片手で抱いていた腰周りに軽く力を込める。距離を詰める事でカイルのものが微かに反応しているとわかった。
「ん、当たってますよ……」
自分も同じ状況であるのは承知のうえだ。
「そうだな」
明確に腰を押しつけると、仕返しのつもりなのか耳朶を甘く食まれた。
「ゲオルグ殿……もっと、欲しいです」
耳元で直に囁かれたカイルの声はゲオルグを欲しているように感じ取れる。
自分もカイルが欲しい。髪を梳いていた手で彼の肩を押し、一旦離れるよう促すと従ってくれた。改めて見る彼の表情に息を飲んだ。こちらを欲してくれているカイルの表情は、とても扇情的である。本能の赴くまま、形の良い唇へ自らの唇を押し当てた。思えば口づけも久々の事だ。
一度触れてしまえばどれだけこの男に焦がれていたかを実感する。深く口づけ合い、彼をその場に組み敷く。
「もーっと、気持ち良くなりたいです。一緒に」
唇の端を伝う唾液を指で掬って舐めとりながら抱き寄せられた。両目で見る彼は、今まで以上に美しく映っている。
今は時間に追われる事も無い。ゲオルグは存分にカイルを抱こうと決めた。

 

燻っていた情欲を相手にぶつけてしまった。相手は満足そうにしていたが、身体への負担は避けられなかったはずだ。様々な思いが浮かんでいた中で、カイルの期待に応えられたのだから良かったのだと結論づけた。
引き続き談笑しつつ考えが一つまとまった少し後。遠目に見えていた街中まで辿り着いた。
横幅が広く設けられた道の両端には店が軒を連ねており、賑わいを見せている。
「すごい賑わいですねー。まさかこんなに栄えているなんて思いませんでした」
同感だ。地図上では気候以外の見当は皆目ついていなかったが、まさかこんな街並みであるとは。
知らない土地に足を踏み入れる瞬間はいつだって高揚した。今はその気持ちも格別だ。隣には想い人がいてくれている。
「あ。あそこ、饅頭屋さんじゃないですか! 行きましょー!」
ゲオルグの腕を掴み、カイルが足早にその店に向かう。群島諸国で諦めた饅頭が一瞬脳裏に浮かんで彼に気付かれないよう苦笑する。その地に置いて来たはずの過去に囚われていると思ったからだ。
「遠慮しないで下さいね?」
「今更だな。好きなだけ買わせてもらう」
「是非。オレも一個買おうかなー」
目当ての出店に辿り着き、先にカイルが肉饅を一つ買う。店主は備え付けられていた大きな蒸篭の蓋を開けて取り出した物を渡してくれた。蓋を開けたと同時に溢れ出た湯気に少々驚く。
その後でゲオルグは餡饅を六個買い、一つを手にして残りは紙袋に詰めてもらう。
「熱いけど、美味しいですね」
「あぁ。まさか出来たての饅頭が食べられるとはな」
吐く息を一層白くさせながら道を歩く。他に気になる出店はないかと心を弾ませていると、
「いい所ですね。あれもこれもと目移りしちゃいます」
肉饅の残り一口分をゲオルグの口元へ運びながらカイルが言う。
「そうだな。一日限りでは回りきれそうにない」
肉饅を頬張りながら紙袋を差し出す。甘味を深く好んでいるわけではないカイルの礼になるかは怪しいが、そこから一つを彼に分け与えるつもりだ。
「ありがとうございます。でも、オレにはちょっと多過ぎるんで……それを下さい」
「これでいいなら、わかった」
半分以上を食べ終えていた餡饅を差し出す。
「ありがとうございます」
カイルはそれを片手で受け取り、一口齧った。
「あー、美味しいですね。やっぱり一個まるごと欲しいかも」
「好きなだけ食え」
「それじゃ、ゲオルグ殿の分が無くなっちゃうじゃないですかー」
「いいさ。そうしたらまた買えばいい。急ぎの旅ではないからな」
自分の好物を美味いと言ってくれて嬉しかった。餡饅を食べ終えた彼に再び紙袋を渡すと、今度は受け取ってくれた。
「楽しいなー」
「あぁ」
この男の独り言であったのかもしれないが。街の雑踏で消え入りそうな声にゲオルグは相槌を打つ。暖かい物を食べているせいか、先ほど以上にカイルの鼻が赤い。その様子もたまらなく愛おしい。
思えば遠くに来たと、先刻カイルが言っていた。ゲオルグの願いは叶ったといっていいだろう。喜ばしいが、その後については全く考えていなかった。しかし今は現状を心から楽しむ事に専念したい。先を考えるのはもう少し後でいいだろう。

 

白い息を吐きながら餡饅を頬張るゲオルグをカイルは愛らしいと思う。
ここまで着いて来て本当に良かった。彼を追うために女王騎士を辞めたわけではなかったが、気付けばこの足は群島諸国行きの船に向かっていた。
再会を果たしたゲオルグから抱いた拭いきれない違和感。それは彼の左目が見えているからだ。仮定でしかないが、要因は他にもあった。ファレナにいた時より距離を取られている。目的地に向かう道中に何度も機会があったにも関わらず、ゲオルグはカイルに一切触れては来なかった。
何か考えがあるのだろうか? 彼なりに機会を見計らっているのか、それとも身体を繋げる気は一切無くなってしたのか。恐らく前者であろうと願いを含めて判断した。
それとなく試すように接したところ。結果、ゲオルグはカイルを抱いてくれた。自分だけが相手に触れたいと思うな。その言葉が嬉しかった。

 

山間の宿屋でゲオルグに抱かれた後。やや広く作られてはいても、一人用のベッドを大の男が二人で使おうとするのは窮屈だろう。しかしカイルはゲオルグのいるベッドから出て行く気にはなれない。
「狭くはないか?」
「んー……はい。って言えば嘘になりますけど。出たくないです」
「そうか」
ゲオルグがカイルを抱き寄せる。返答に安心してくれたのだろう。行為後、肌を触れ合わせて改めて気付く。自分はこの感覚に飢えていた。
「もっと、くっつきたいです」
飢えが完全に抑えられたわけでは無かったので、ふと浮かんだ欲を呟く。抱きしめられている腕に力が込められた。肌を通して伝わるゲオルグの心音が心地良い。この穏やかな時間を今しばらく堪能したいと思うが、意に反して眠気を催す。
「眠ってしまっていいからな」
傍らにいるはずの彼の声も遠くの方で聞こえる。こうなってしまっては、抗う事も難しい。
ここはゲオルグの言葉に甘えようと思う。次に目が覚めた時もこの男はカイルを抱きしめてくれているに違いない。目覚めた時は一人であった当時とは違う今を、たまらなく嬉しく思った。
心境は満たされているが。意識を手放す前に今一度考える。行為中、この男から微かな自制を感じ取った。単なる気のせいとは思えない。ファレナでの一件が彼の枷になっていると容易に推測出来た。旧友を差し置いて、自分だけが良い思いをしてしまっていいのか。心優しいゲオルグはそのように考えているのかもしれない。
ほんの少しでいい。彼が自身の罪を僅かでも許せるように。密かに願っていた。愛を囁いてもらう事など二の次だ。想いを秘めずに打ち明けて欲しいと、この男に対して今まで何度か思っていた。彼がこちらを深く愛しているとも既に気付いている。
しかしゲオルグが心情を明かさない事には、何らかの事情や考えがある。いつもそうであった。今はファレナにいた時とは違う。考える時間はいくらでもある。どうか気の済むまで考え抜き、彼が最も納得のいく答えに辿りつけるように。ゲオルグの体温に心地良さを感じながら、その日は眠りに就いた。

 

街中での食べ歩きを楽しみながらも少々寒さが身に応える。カイルと先ほど買った鳥の串焼きを食べながら引き続き周辺を見て回っていた。いくら暖かい物を食べているからとはいえ、そろそろ屋内で身を落ち着ける事も考える。
「そろそろ何処かで休憩するか?」
食べ終えた串を片付けた後に問う。
「それもいいですね。ゲオルグ殿、お疲れですか?」
「いや。そろそろ寒さを凌ごうと思ってな。おまえも寒いだろう?」
「そりゃ寒いですけどまだ平気です。ゲオルグ殿が買ってくれたこれ、すごーくあったかいんですよ」
カイルは自らの外套に触れながら答える。それはこの地方に到着するより少し前に買い与えた物であった。
「無理はするなよ?」
「ゲオルグ殿もですよー」
「あぁ。わかった」
自分が買い与えた物を大切そうに扱い、尚且つ気に入ってくれている様子に心を温める。
「次はそこに行ってもいいか?」
「はーい」
甘酒という看板に興味をそそられ、やや足早にそこへ向かって目当ての物を買う。甘酒の入った紙コップを受け取り口をつける。熱いとわかってはいたが、やはり期待には抗えず少々勢いがついてしまって舌を焼いた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ。気を付けろ。かなり熱いぞ」
「でしょうね。そんなに待ちきれなかったんですか?」
「まぁな」
「しょーがない人だなぁ」
微笑ましく語るカイルにつられてこちらも笑みが浮かんだ。気を取り直して今度はやや慎重に味わう。最初こそ熱さに驚いたが初めて味わう甘さに心が躍る。酒とは言うものの、その風味は微かなもので酔えるほどの物ではない。酒とは別の飲料と考えていいだろう。とろみと甘さが奥行きのある味わいだ。
「変わった味ですねー。でも、嫌いじゃないです」
カイルも同じ事を考えていたようだ。餡饅といい、味の好みも少しずつこちらに寄ってきてくれているのではないか。そのように思えてしまう。
「俺もそう思う。暖まるな」
そうであったら嬉しいと考えながら甘酒を啜る。
「そうですね。これならもうちょっと、休憩はしなくても大丈夫かなー」
「それならもう少し歩くか。この先も色々ありそうだな」
「はい。とりあえず数日はここいらで腰を落ち着けるって解釈で合ってます?」
「そのつもりだ」
「良かったです。お食事処も気になるお店がいっぱいありましたから、行ってみたいなーって思ってたんですよ」
ゲオルグが思っている以上にカイルは今を楽しんでくれている。
「甘味処巡りも、とことん付き合いますからねー」
考える間も無く感情はあらわとなっていたようだ。隣を歩くカイルが一層笑んだ事で気付いた。数時間歩き続けてようやくこの街全体を踏破する。寄り道も相まって多大な時間をかけた。
高い位置にあったはずの陽は傾き、辺りを橙色に染め始める。約半日を使って歩き回ったところで理解した。どうやらここは観光地の名所らしい。
それは知らなかったと串焼き屋の店主に話し、多大に驚かれたのは先ほどの話だ。自分たちはここからずっと遠く離れた場所から来たのだから無理もない。と、カイルが語った事で相手側に何処から来たのかと問われる。自分たちがこの場所についてを知らないように、向こうもファレナ女王国を知らなかった。本当に遠くまで来たと再度実感する。
「そろそろ泊まる場所を考えますか?」
「それもそうだな。とりあえず、夕食を済ませてから考えるか」
陽が落ちているせいか一層寒さを感じる。今日の夕食を済ませる食事処を決めるため、来た道を戻り始めた。

 

「すっかり暗くなっちゃいましたね」
「寒さも増したな。すまん、俺があれこれと食い過ぎて時間をかけた」
食事処を見つけて足を踏み入れたまでは良かった。座敷式の客席は居心地があまりにも心地良く、時間を忘れてしまう。その店の食事も目移りするものばかりでカイルが好きなだけ食べればいいと言ってくれた事に甘えてしまった。そうして長居をした結果、今に至る。
「いいじゃないですか。急ぎの旅ではないんだから。ゲオルグ殿が美味しくご飯やデザートを食べているのを眺められて、楽しかったしー」
「そんなに楽しかったのか? おまえがそうだと言うなら、悪い気はしないがな」
「めちゃくちゃ楽しかったですよ? 相変わらずよくお食べになるなーって思うし、見ていて気分が良いんですよ」
何故カイルがそこまで楽しさを感じられているかは理解しかねるが、その笑みからも彼が心からの思いを話している事が伝わる。それだけで充分だからこそ理由を追求しようとは思わない。
「そうか。しかしな、思った以上に時間をかけてしまった。宿屋はさっき話していた所のままで大丈夫か?」
「問題ありません。いっぱい食べたんだし、食後の運動に丁度いいじゃないですか」
食事処でゲオルグがカイルと何処の宿屋に泊まるかを話し合っていた時。歩くのが苦ではないのであればこの街から少し外れた場所に情緒溢れた宿屋があると、店員が教えてくれたのだ。
「体力の心配は無用だと思っている。俺が気になるのは、この寒さについてだ」
不思議そうにしているカイルの頰に手の甲を当てる。
「冷えているな。一刻も早く暖を取るべきだ」
「なーんだ。そういう心配をしてくれてたんですか」
はにかみながらカイルは言う。暖かい屋内から寒い屋外へ出たせいか、耳までも赤くなっていた。
「大丈夫ですよー。それに、宿屋はここからわりと離れているんでしょ? いっぱい歩けばあったまりますって」
確かにカイルの言う通りだと思う。街の大通りから外れ、静かな道を歩きながら彼の横顔を見る。
「寒そうだな」
「そりゃ、寒くないって言えば嘘になりますよ?」
「先を急ぐぞ」
思えばこの街に来る手前にも、似たような事を感じていた。双方がゲオルグの両目について見たり見られたりする。それを慣れないと話して持ちきりとなっていたと気付いた。
「心配症なんだからー。でも、ありがとうございます。気遣ってもらえるのは嬉しいなー」
少しずつ歩く速度を早めるが、カイルは難なく着いて来てくれる。歩幅も互いにほぼ同じ故だ。それはこの男と出会った当初から感じていた。また、捨て置いたはずの過去に少しながら触れてしまう。
「それに、身体の芯まで冷えてしまったら……ゲオルグ殿が温めてくれるんでしょ?」
「善処しよう」
ほんの少しぐらいであれば振り向いてもいいのかもしれない。彼の隣を歩きながら感じた。
穏やかな気持ちであるからこそ、このような気持ちを抱けるのだろう。
「ゲオルグ殿ー。軽く返してくれちゃって……言っときますけど、オレは本気ですからね?」
「あぁ」
その本気とやらが何処までの度合いなのか。それは後で時間をかけて考えればいい。今は一刻も早く宿屋に向かわなければ。
「あれですかね?」
「そのようだな」
遠目に明かりの灯った建物が見えてきた。恐らく自分たちが目指している場所だろう。歩みを更に進め、到着を急ぐ。
「ゲオルグ殿ったら、そんなに急いでも宿屋は逃げませんよー?」
「それはそうだが、逸るものは逸る」
「さっきの甘酒よりもですか?」
「そうだ」
「きっぱり言いましたねー」
カイルがこれ以上寒い思いをしないようにするためだ。いちいち語る必要性もそれほど感じなかったため、何も言わずに微笑んで見せる。
「でもまぁ、どんな所なのかすごく気になるってのはオレも一緒ですけどね。楽しみだなー」
腰を落ち着けられる頃には夜遅くの時間となってしまうだろう。カイルからそれとなく誘われているような雰囲気はあったが。こちらから行動を起こして少しでも疲れている素振りを見せたのであれば。その時は何もせず眠ってしまおうと決めた。

 

ようやく宿屋に辿り着き、客室に入ったのは予想していた通りの時間帯であった。
街から少し外れた場所にあるこの宿屋は温泉を特に売りとしているらしい。源泉がこの近くから出ている故だと従業員から話を聞いて納得した。
客室に備え付けられている露天風呂や、共用スペースを歩いた先にある種類が豊富な貸切風呂。全種類のそれを巡る事も悪くない。
靴を脱いで客室に入る。ベッドではなく床に直接寝具を敷くなど、馴染みの無い文化に驚くも新鮮だと感じる。
部屋に通されると今の時間のせいか、既に寝床が作られていた。本来はそこに配置されていたであろう机は部屋の端に寄せられている。
「お話を聞いていた通り、すごーくいい所ですね。入った時からいい匂いがずっとしてるし」
「あちこちで香が焚かれているんだな。出入り口だけかと思ったが、宿屋内全体が香っている」
「この部屋にも用意されていますしねー。せっかくなんで、焚きましょうか」
脚の短く造られた机上にあった香一式にカイルが手を伸ばす。隣に腰を下ろして作業の様子を眺めながら、ゲオルグはお茶請けが積まれた皿の方にも視線をやる。
「食べますか?」
「あぁ」
積まれていた内の一つを手に取り、こちらに寄越してくれる。包みを開けて一口で平らげた。
中に入っていたのは餡子の甘さが程良い大福だ。もう一つ欲しいと考えていると、カイルが口を開いた。
「今日も楽しかったなー。ここ最近はいつもそう思ってましたけど。今日は特に楽しかったです。ゲオルグ殿とここまで来れて……すごく嬉しいですよ」
ひとまず空いた包みを片していた矢先に言われる。彼をファレナから遠ざけたい。自己満足でしかない行動に、ここまで喜んでくれるとは思っていなかった。
「オレには勿体ないぐらい幸せ過ぎて……ちょっと怖いな。なーんて、何言ってんでしょうね」
「勿体ないって言うなら、俺もそうだ」
「ゲオルグ殿もですか?」
頷いた後、言葉を続ける。
「明日以降の心配など考えず、このままおまえと毎日を面白おかしく生きていけたらどれほどいいか。贅沢過ぎる願いだ」
「贅沢だなんてそんな。じゃあ、仮にそれが贅沢だとしたら……あなたは我慢するんですか? そんなの、して欲しくない」
カイルにしては珍しく、感情的な言い方だと思う。
「すみません。ちょっと感情的になってしまいました」
相手もそれを自覚していたと教えてくれた。よって、たった今感じたそれは気のせいではないと確信づけられる。
「謝るな。言ってくれて嬉しい」
だからこれからも自らの気持ちは今のように話してほしい。その思いを込めて頰を撫でると、張り詰めていた彼の表情が和らぐ。
「俺から言わせれば、おまえも何かと我慢しがちだ」
「そーですかね? ゲオルグ殿には負けちゃいますよ。きっと」
何を根拠に話しているのか。それを理解する事は出来ない。
「自制する必要も、ないのかもしれんな」
「え?」
「すまん。独り言だ」
カイルがそれを許してくれるのであれば、より彼を求めてしまっていいのかもしれない。ファレナにいた頃よりも前向きな心持ちで、ゲオルグは改めて目前の男を愛しく思う。
「それより、カイル」
「はぐらかすんですか? 別にいいですけど……」
距離を詰めながら囁くとカイルはこちらを向いて両手を開けてくれる。誘われるがまま、彼を抱きしめた。
「寒くないか?」
「はい、大丈夫です」
当初のカイルを暖めるという目的は、どうやら理由にはなりそうにない。
「そうか」
今日のところは就寝するべきだ。しかし意に反して相手に触れたい。
「眠くはないか? 長旅で疲れてはいないか?」
「ゲオルグ殿ー。オレを心配してくれるのはとても嬉しいです。でも、もっとシンプルなあなたの思いを聞きたいなー」
ゲオルグの考えをカイルは把握していたようだ。また先回りをされた。後手に回る事は少々不本意だが今は好都合とも思う。
「抱きたい」
彼の意向に答えるため、たった一言に今の意思を込める。
「いいですよ。お風呂やそこに敷かれているお布団にも興味があるけど、今はそれよりもあなたが欲しい。オレも一緒ですよ」
穏やかに語る相手に安堵する。それが本心だと言わんばかりに、カイルはゲオルグへ顔を近付けて唇を重ねた。
「……気なんて遣ってませんから。どうか、思うままに触れて下さい」
「わかった」